「れんれん! いっしょかーえろ!」
彼女と知り合ったのはいつだっただろう。いつからかそうやって彼女は声をかけてくるようになって、オレはなんにも考えずに、情けないけれど、いつも彼女の後ろをついていった。ちゃんは、なんというか、オレよりも余程、気の強い女の子だった。いつだってオレをかばってくれたし、よくよく考えるとオレ以外の男の子とも仲がよくて、遊ぶと言ったら男の子と外で走り回っていたのを覚えている。きっと彼女の中ではオレもその多数の男友達の中のひとりだったに違いない。けれど、オレにはただでさえ数少ない友達の中の、しかも珍しい女の子だった。
でも小学校に上がった頃だったか、そんな頃に、彼女は急にいなくなってしまった。あんまり詳しいことは覚えていなかったのだけれど、どこかに引っ越してしまったのだと思う。しばらくは電話や、手紙なんかでつたないやりとりをしていて、しかしいつのまにかその交流もなくなってしまって。ふとそれに気づいたときのさみしさが、初めて抱いた失恋の痛みだったと今になってわかる。
「みーはしくん、おっはーよ」
「さんオハヨウ」
そして西浦に入学したオレを一番驚かせたのは、その彼女だった。
「どこかで見たことあると思ったの、覚えてる? わたし、小さい頃よく遊んでた、、」
入学式の日、いきなり声をかけられて、初めは誰なのかすこしわからなかったけれど、名前を聞いた瞬間にすべての記憶が脳裏にふわりと溢れた。なつかしくってうれしくって、それからいろいろな話をしたのだけれども、空白の時間はすこしばかり長かったのか、彼女はオレのことを苗字で呼ぶようになり、そしてオレも彼女を呼ぶときは同じように呼ぶようになった。
久しぶりに自分に向けられた声は、最後に向けられた声よりも幾分か落ち着いていたように感じる。きっとオレの声もこれでも少しは低くなったに違いない。
「ねえねえ、久しぶりに今日一緒に帰ろう」
そんな声がかかったのは、そろそろ夏を迎えようとする梅雨の初め頃だ。いつだか抱いていた恋心は懐かしさに変わっていたけれど、その落ち着いた澄んだ声はオレに否定をさせることを許さない。部活が終わる時間が遅いことを告げると、校門で待っていると彼女は言った。部活が終わって学校を出る時、そこまでいっしょに来ていた田島くんやみんなに一通りからかわれたのは言うまでもない。
「ごめんね、お待たせ」
「そんなに待ってないから大丈夫だよ」
照れたように笑った顔は、幼い頃見ていた笑顔とは違ったものみたいで、そういう些細なことからオレも彼女もすこしばかり距離を感じているのだと思う。些末な会話をしながら歩いて帰る。よく一緒に帰っていたころは、なんだか走って帰っていたような気がする。あのころは彼女の方が背が高くて、先に立って走っていたのに、今ではオレよりもすこしばかり背が低くて、そしてきっとオレの方が足が速い。性別なんかからして、よくよく考えずとも、そんなこと当たり前なのに、変な隙間を抜かしたオレたちにとっては、そういうおかしなところばかりがひっかかる。
家まで送るよ、とオレとしては無理を言った時、驚いたのは自分自身だった。そうして他愛もない話をして、ああやっぱりなんだか、彼女は変わってしまったなと感じる。あんなに前を走っていた彼女は、今はオレと同じくらいのところを歩いているような気がするし、それになにより、彼女はひとりの、魅力的な女の子になっていた。幼い頃に抱いていた感情が、今になって、もっと鮮明な色を持って駆け上ってくる。とても穏やかに、とても広く。しかしそう感じるのは、彼女が昔のようにはオレに接してくれていないということではないのだろうか、という不安がひしひしと積もる。彼女の声や、表情や、仕草や、いろんなことが、オレの知っている彼女よりもかたくて、起伏がない。二人きりでいられる時間を引き延ばそうとして家まで送るなんて言ってしまったけれど、もしかして、面倒くさがられているだろうか?
「三橋くんさ、」
ぐるぐると頭の中を回転しながら彼女の家の前についた時、彼女はそう言ってオレを呼び止めた。
「背高くなったね」
ふらふらと泳いだ目がじっと合わさって、一言だけそう言われた。
「今ならさんよりはやく走れるよ」
彼女は目を伏せて笑う。
「わたし、足遅くなっちゃった」
「そんなこと、」
「でも、み、はしくんの知ってるわたしじゃなくなってない?」
「そうかもしれないけど、きっとオレもさんの知ってるオレじゃない」
「そうかもしれない」
彼女が息を吸った、ひそやかな音が聞こえる。
「回り道してたの、気づいた? 長く歩かせちゃってごめんね」
「え、」
「わたしね、心のどこかでずっと、れん、れんのこと好きだったよ、忘れられなかったの。きっと今のわたしはれんれんの知ってるわたしよりも弱いし、変わってしまったことがいっぱいあると思うんだけど、その間のこととか、もっとお話ししたいし知りたいし、またむかしみたいに、っ、それよりもっと仲良くなりたいの。久しぶりに会ってまだ間もないのに変なこと言ってごめん」
ちゃんはうつむいていて表情はよくわからないけれど、震えた声が耳に届く。一息ですべてを言い切った彼女に思考が追いつかなくて、口を開いては閉じることを幾度か繰り返してしまった。
「ごめんなさい、どうしても言いたかっただけなの、ごめん、わすれ、」
「オレも、」
忘れて、と言われそうだったから咄嗟に遮ってしまったけれど。
「オレも、ちゃんが好きだったよ、ほんとうは、いなくなるまで気づかなかったけど」
今度はオレが大きく息を吐く音が響く。
「さっきの、忘れないから、オレも、ちゃんのこと、好きだから、……だから、その、オレと、付き合ってください」
自分の声は情けない程に震えていて、咄嗟に頭を下げたために彼女と目を合わせることも出来なかった。しばらくたってもなにも言わない彼女に戸惑ってゆっくり顔をあげると、そこには昔の面影のある顔で笑っていて、そして初めて彼女の涙を見た。
2015.01.12
(ストーゲイ / 友情の延長にある穏やかな愛)