眩しい光が顔に当たっている。瞼を通して刺激してくるその光には寝返りをうった。と同時に、とん、と何かに当たる。それに手を触れると、それは密やかな温度を持ち合わせている。まだ眠っていたいという気持ちもあったが、静かに上下するそれがなんなのかという好奇心が勝って目を開けた。ぼんやりとした視界が徐々に鮮明になっていき、自分の触れているものの正体がわかったと同時に心臓が脈を打つのを早めた。

 何、を、したのだ、わたしは。ぐらぐらと頭が揺れる。身体は気怠く起き上がるのも臆病なほどで、腰は鈍い重みに襲われている。極めつけは一糸も纏っていない自分と彼の姿である。当の彼、イワンはわたしを腕に抱いて寝息を立てていて。ああ、これは、と一気に頭が覚醒した。慎重に昨夜の記憶を辿っていく、彼の家に飲みにきて酒に飲まれて、それから、それから。思い出したくもない記憶が頭の中を過ぎり顔に熱が集中していく。とぎれとぎれにしか思い出せないけれど、その断片ですら酒が入っていたから成せた業である。もう穴があったら入りたいしその穴すら埋めてもらいたいものだと強く思った。しかしある辺りから後のことはどうにも思い出せなくて、合意のうえでこうなったのか、彼は遊びのつもりなのか、一番肝心な部分がまったくわからない。
 あああ、と手で顔を覆っていると彼が身じろぐ気配がした。ぎゅうっと引き寄せられ、脚が絡まる。起きたのか、と顔をあげると、案の定瞼が開いて菫色の綺麗な瞳と目があった。数回目をしばたいて、彼の頬に朱が集まる。ぱっと絡んでいた脚と腕を離し、イワンはごろんと寝返りをうった。

「わああ、あの、ごめんなさいおはようございます!」

早口にそう言って彼は黙りこむ。離れてしまった体温はとても寂しくて、しかし彼の慌てようを見ていると、やはり一晩の遊びだったのかという思いがよぎる。何も答えられずにいると、

「あ、の、覚えてますか?」

とこちらに背を向けたまま彼は遠慮がちに問うた。

「えっと、途中まで、は」

そう言ったあとに彼の背に目を向けて、気づいた。白い肌に赤く残る傷痕。小さいものから痕をひいているものまで様々な大きさのそれは、まだ生々しく、ヒリヒリして痛そうである。間違いなくこれは、

「これ、わたしの所為ですよね。ごめんなさい」

その傷をなぞるように優しく手を触れて、もうどうせこの程度なら許して貰えるだろうかと、探り探り口付けた。びくりとイワンの肩が揺れる。沁みて、痛いのかもしれない。ごめんなさい、ともう一度呟いて背中から離れた。振り向かない彼に罪悪感が増す。ああやっぱり駄目だったのか、と直感した。熱くなっていく目頭を必死に誤魔化す。

「ほんとうに、覚えていないですか」

もう一度、問われる。その声に滲んでいる色はには理解できなくて、ごめんなさい、ともう一度呟くしかなかった。彼が、すう、と静かに深く呼吸した。軽蔑されたか、そう思って俯いた矢先に、彼はもう一度寝返りをうった。起きたときと同じように抱き寄せられ、脚が絡まる。少し距離をとって合わせられた彼の瞳は鋭い光を宿していて眉間には皺が寄っていた。怒っているのか、悲しんでいるのかすらわからなくなって、目を逸らし俯くしかない。予測していた事態のはずだったのに、予測以上の悲しみに対応しきれない。ごめんなさい、とまた呟いた。その声は震えてしまっていて、涙をこぼすのも時間の問題のようだ。
 また、今度は目の前で息をつく音がする。彼の表情を見るのが怖くて俯いた顔はかたくなにあげられなかった。彼の手がそんなの頬をとらえる。堪えていた涙がこぼれるときに彼は親指でそれを拭った。顔を持ち上げられこつんと額を合わせられる。

「貴女は、何に対して謝っているのですか? やはり僕に誰かを重ねて、ああいう行動をとったのですか」
「そ、れは……」

違う、そう言いかけて何かが頭の中で閃きかけた。彼の目は閉じられている。こうやって、昨夜額を合わせたような気がする。思い出せない。喉元まで出かかっているのに、はっきりとは思い出せない。

「図星、ですか」

変なところで言葉を区切ってしまったばかりに、彼はまったく正反対の意味に捕らえてしまった。イワンはゆっくりと目を開くと、合わせた額を少し離す。ゆるゆると、彼女を抱く力が抜けていく。
 思い出せ、彼が離れてしまう前に。彼に完全に嫌われてしまう前に。いつそうやって額を合わせたのか。なぜ、それが嬉しかったのか。それはきっと忘れてはいけないことだと確信している。
 必死に記憶を手繰る。もうほとんど離された距離にまた俯く。ほんとうは、そんなことないと言って告白してしまえば早いのに、後ろ暗い何かがそんなことをさせる勇気をから奪ってしまった。の腕を掴んでいた彼の手にまた力が入る。ぎゅう、ときつく抱き寄せられて、後頭部から彼の胸板へと抑えつけられる。

「……僕は、貴女のことが好きでした、ちゃん」

耳元で低く唸った言葉に目を見開いた。はっきりと思い出したのだ、額を合わせた時のことを。なぜ、嬉しかったのかを。肩を押され、勢いよく離されかけた身体を引き留めるように腕を掴んだ。見上げた彼の菫色の瞳は先程とは違う鈍い光を湛えている。その瞳に胸を痛めながら片腕を首に回した。今度はが彼を抱き締める。抱きしめている、というよりは、すがって抱きついている、という方が正しいのかもしれない。彼の肩口に顔を埋めた。

「イワンくん、イワンくん」

ぼろぼろと涙をこぼしながら彼の名前を呼ぶ。当の彼は困惑していて、の肩に手を乗せている。

「思い出した、思い出せました」

あの行動の意味が、あの時の言葉が。もう今更かもしれないし、彼の不信は取り払えないかもしれない。それでも、彼女は言葉を紡いだ。

「わたし、貴方を誰かと重ねたりなんてしていません」

肩口からそっと離れ自分の手で頬の涙を拭う。腕を掴んだままだった手をそっと離し、彼の手をとって指を絡めた。その仕草にイワンは驚く。それは確かに昨晩自分からしたことであって、彼女が覚えていないと言った記憶の中にあるはずのものだ。

「貴方が、イワンくんが、好き、です。信じてもらえるかはわからないけれど、わたしは貴方が、」

好きです、と言いかけた言葉はすっと離された手によって嚥下させられた。軽い女だと思われただろうか。もう信じてもらえないのかもしれない。そんな不安にが視界を曇らせたところで、イワンは彼女を抱き寄せた。

「ほんとう、ですか」

尋ねている彼の声は震えている。

「ほんとうです」

息をするのもきついくらいに抱き寄せられ、やっとそれだけ答える。

「イ、ワン、くん、くるし」

そう呟くとはっとしたように腕を緩めた。

「ごめんなさい」

先ほどまではが繰り返していた言葉を、今度はイワンが呟く。まるで少しでも彼女を疑ったことを恥じるように、何度もその言葉を繰り返した。

「すきです、こんな、こんな風になるまで言えなくて、ほんとうにごめんなさい」

が身体を移動させて、こつん、と額を合わせる。至近距離でぎゅっとつむった瞳を開くと、困ったように眉根を寄せる、水晶のような美しい紫の瞳と目が合った。

(背中:確認)

2011.07.30

長ったらしくなりましたすみません
完全に平語というよりはまだ敬語のようなちょっと手探りの距離があるような、そういうのが好きです(個人的に)