白いシーツにくるまって、月の光でしか見えない彼の方を振り向く。
「貴方はどんなところに住んでいたの」
唐突に投げかけた言葉に虎徹は目だけをこちらに向けた。
「山の中だよ、田舎だった」
「そう、わたしと同じね」
「そうか」
それだけの会話に空気がまた無音に戻る。今日のふたりはやけに会話がない。
「わたしの居たところは月が美しかったわ」 (貴方のこと、愛していたわ)
もう眠ったかと思った虎徹にぽつりとは呟いた。
「この街の月も綺麗だろ」 (俺はまだ愛してる)
目を閉じようとしたところに降ってくる声。虎徹はの方に向き直っていた。
「……貴方の、田舎の月の方が愛しいでしょう」 (あの方のほうが愛しいでしょう)
それには目を向けず、淡々とは天井を見続け、少し考えて言葉を返す。
「そんなことはない」
「わたしには街の月は霞んで見えるわ」 (あの方には適わないもの)
月のことを話題にしながら違う内容を暗に示していることを、もうふたりは理解していた。
「俺には、どちらも美しく見える」 (俺にはどちらも同じくらい愛しいのに)
それは互いを想うが故に口をついて出てくる言葉。
「どちらの月も愛そうなんて無謀よ」 (どちらも愛そうなんて、無謀よ)
ついに虎徹は言い返せなくなり押し黙る。
「月はいつでもひとつで、結局人は同じ月しか見ていないの」 (人が愛せるのはただの一人だから)
「それでも、」
「ね、だから、」

 さようならをしましょう。貴方の幸せのために。

 沈黙は続く。今夜このまま眠って朝になれば、は虎徹を押し切って彼の元を離れるだろう。それが彼女の考える、彼を唯一幸せにする方法。
「……
彼女は答えない。
「愛してる」「誤魔化されないわ」
「わかってる」「だってわたし待ちきれないもの」
「うん」「貴方の重荷になってしまう」
「それでも、」「あの人には適わないじゃない」
リズムを持って進んでいく会話。
「この街の月は、空気が淀んで、汚いの」
虎徹の方を向きもしない彼女は、天井を見つめながら自嘲的な笑みを零す。
「そうだとしても、その月も俺は美しいと思う。それに、田舎の月をもう見ることはできない」
「……っ」
彼女が言葉に詰まるのを分かっていて、虎徹は言葉を紡いだ。
「俺にもう、愛しい人を失わせないでくれ。我が儘だが、俺はお前を、」
「愛してる、虎徹」
切々と語る、虎徹の声をは遮る。
「俺も愛してるよ」
その言葉を待っていたかのように、彼女は虎徹の方を振り向く。身を寄せて、背中に腕を回した。
「……貴方の、名前がほしい」
我が儘だとわかっていて、彼女は最後の賭に出た。この問いの返答次第で明日の朝の彼女の行く先が変わる。
「────、」
「ごめんなさい、やっぱり」
言葉に詰まった彼を見て、は背中に回した腕を緩めた。
「……いや、今度、俺の田舎の月を見に行こう」
離れかけた身体をまた寄り添わせたのは虎徹の腕で、
「それから、ゆっくり考えよう、な」
何も言わないの顔を覗き込み、眉を下げそう言って笑った。
「……ありがとう」
はその言葉に目を見開く。予想もしなかった返答は、彼女自身を困らせ、けれども嬉しかった。
「いや、今夜は月が綺麗だ」
「そうね、切ない程に美しい光ね」
静かに、虎徹が呟いた言葉には返す。彼がの頬に当てた手の薬指には、冷たい感触と、月光に煌めいた暖かい光があった。

2011.08.07

反転