「です。失礼します」
部屋の中から不機嫌そうなコエンマの声が飛ぶ。こんな忙しい時に呼び出されて不機嫌なのは私も同じなのだが、呼び出されておいて部屋に入らないわけにもいかないので恐る恐る扉を開けた。あまり不機嫌な顔を見せると後が怖いので、一応笑顔を作る。だだっ広い部屋に豪華な椅子と机がひとつ。歩くたびに足音が部屋にこだまするような床材の、高級そうなカーペットの上にそれらは配置されている。コエンマの机の上に山のように積まれている書類はいつもの倍以上はあって、それが今の忙しさを物語っているようであった。いつもはこの場所から見える部屋の主の姿も今日は書類に隠れていて見ることができない。
「あの……ご用件は」
言いながらつくり笑顔で書類の山をのぞき込めば、思わずはっと息を呑んだ。不機嫌そうな目と疲れている顔、眉間にしわを寄せて肘をついているその姿はいつもの姿ではなく、すらっと細い、人間界に降りたときにだけ見せるという青年の姿だ。
「なにを固まっておる。いいから手伝え」
そんな私の心中なんて彼にはお見通しなのだろう。書類をずい、とこちらにやりながら、コエンマは目もくれない。
「コエンマさま、私も仕事が溜まっておりますのでちょっ……」
「いいから」
……いやいやこんな忙しいときに人の仕事を手伝うなんて御免だ、とようやく思い至るものの最後まで聞いても貰えず、いつのまに持ってきたのやら、コエンマはぽんぽんと自分の右側にある椅子を叩いた。そんな逃げ場のないところでやれ、と?
「この仕事が早く片づけられれば臨時収入をはずもう」
どうしたものかと固まっているところに、極めつけはその台詞であった。お金につられるのはなんとも不愉快だが今現在だいぶ生活が厳しいので悪い話ではない。コエンマのことだ、きっとその辺りのこともわかっていて言っている。
「その言葉覚えておいてくださいね」
なんなら昇給でもしてもらおうかしら、などと腹の中では策を練りながら、自らの仕事を後回しにする覚悟を決めた。
終業のチャイムが鳴る。机の上の書類は半分以上減っただろうか。最初よりもだいぶ向こう側が見えるようになった。ぐーっと背筋を伸ばすと、コエンマも手を止めて欠伸をしている。
「茶でも飲むか」
隣でいかにも眠たげな、疲れた声がそう言った。誰かに運ばせるのかと思いきや、意外にも自分で煎れるらしく、私が座ったままでそれを不思議に思っていると、振り向いて手招きで呼ばれる。行き着いた先は先ほどの部屋とは違って、机とソファが置いてあるだけのこぢんまりした部屋だった。休憩室、もしくは仮眠室といったところか。
「そこらへんに座っていろ」
初めて入る部屋に勝手もわからずあたりを見回していると、コエンマはそれだけ言って奥の恐らく給湯室に行ってしまった。取り残された部屋は、こざっぱりとした印象だ。腰掛けたソファの肘掛けにはタオルケットが乗っていて、彼の忙しさが伺える。しばらくそうして待っていれば、コエンマが湯のみ二つと急須の乗った盆を手に帰ってくる。彼は必然的に、の隣に腰を下ろす。ことん、と目の前の机の上にお盆を下ろしてお茶を注いだ。どちらも話すこともない、とても静かな部屋の中に、お茶を注ぐわずかな音だけが響く。慣れない静けさに、今更ながら上司が煎れたお茶を貰い受けて飲むという居心地の悪さを感じる。しかしこの居心地の悪さは、コエンマの姿が見慣れている姿ではないことも相まっているように思えた。隣で私に湯のみを差し出す大きな手が、緊張感を持たらす。なんだか、誰か知らない男の人と、隣り合ってお茶を飲んでいるような気分だ。
「……あの、なんで今日はそのお姿なんですか?」
とうとう沈黙に耐えられなくなっては問うた。コエンマはちら、とこちらを見てお茶をすする。
「先ほどまで人間界にいた」
淡泊なたった一言の応答に、話を広げることができずにまた沈黙が流れる。気まずさを回避するために飲んでいたお茶も底をついてしまった。帰るにもそれを言い出すタイミングすらも掴めない。
「おい」
「はい?」
「膝、貸せ」
居心地の悪さだけで胃がどうにかなってしまいそうだと、縮こまること数分、急に呼ばれたかと思いきや、唐突な言葉が耳を通り過ぎる。
「……えっ」
やっとのことで言葉の意味を解してコエンマに向き直ると、眠そうな目と目があう。
「眠い」
困惑している私にただ一言、欠伸混じりにそれだけを彼は言った。うっすらと濡れている瞳と目が合うと、拒否することもどうしてかかなわない。どうやら、私はこの顔に弱いようだ、と今更になって気づく。
「わ、私で良ければどうぞ?」
姿勢を正して、服を直す。それはすぐに、ころん、とその上にコエンマの頭が乗った。伏せられた目と、見慣れない端整な顔立ち。一応上司と部下だというのに、異常な事態に思わぬ方向に気が動転している。はい、と答えた手前逃げることもできなくて、まじまじと顔を見つめていると、コエンマはうっすらと目を開けた。
「ありがとう」
ただ一言、少しの微笑みと共に。そう言ってまた目を伏せて、今度こそ彼は寝息を立て始める。私は一人、どうすることもできずに、ただぼんやりと事の顛末を反芻するしかなかった。
今になって思い返すと、私はこの時から、きっと彼に恋をしていた。
2010.09.13
相互記念コエンマ夢でした! 期待はずれだったらごめん;;
えれなちゃんのみお持ち帰り可能です