赤く燃える紅葉を背負ってやってきた狐に、もはやこれまでと死期を悟った。だいぶん前からどこか力を使いきれないような調子の悪さを感じていて、それをただの体調不良と片付けながら先の夏までやってきていた。それが霊力の減少から来るものだと気がついたのは、私よりも、私の刀たちの方が早く、長期休暇をとった方がいいだとか、薬湯だとか、いろいろ気を遣ってくれていたのだけれど、当の本人はいまいち実感が持てずにずるずると仕事を続けていた。それがつい先日、なんでもない手入れに長時間を要したことでようやく納得した有様だ。その時から、私の前に狐が現れることはわかっていた。
「審神者様、聞いておられますか」
開け放たれた障子の向こう側にちょこなんと座った狐が、静かな声で私を窘める。
「聞いています。私が取り得る道はひとつです」
ひとの気配がひとつも聞こえないような妙な静けさの中で、狐の声も、私の声もまっすぐに行っては返る。この狐は、私が一人になる機会を見計らってこの通告を運んできたらしい。私がこの本丸を後にすることは、勘の良い刀ならわかっていることだろうに、刀には聞かせないように私の耳に入れたのはその選択肢のためだったのだろうか。
「審神者としての職務を完遂するということで、本当によろしいのですね」
狐に提示された選択肢は二つであった。一つは、このまま本丸を去り、”職務を完遂する”──すなわち本丸を去った時点で処分されるというものだ。これは審神者になった時分より言い渡されていたことだった。たとえ霊力がなくなってしまったのだとしても、本丸という特殊な空間に長く浸した身体と魂は、機密事項でしかない。脳内の記憶のみを消してしまっても意味がないのだから、全体を処分するのが妥当な判断だ。そもそも私はそれを受け入れて審神者になっている。
「覚悟の上です」
二つ目の選択肢は、……今初めて聞いたものであったが、これは私が審神者に就任したころにはわかっていなかった効能であるらしい。それは任意の刀と交わって力を分け与えてもらえ、というものだった。それを聞いて、なんとも馬鹿らしいと思ってしまったのは仕方のないことだろう。私が主である以上、そんなことを言い出してしまっては彼らに選択肢などないだろうに。私が誰かを選んでしまえば、きっとその刀はそれに従うか或いは、別の刀をあてがうに違いない。彼らはそういうふうにできているのだと知っているものが、そのようなことを受け入れられるはずがなかった。まさしく生をとるか、死をとるか、という選択であるのに、掴み取る道はたったひとつに決まっている。
「……わかりました。残念です」
赤を背負った狐は私からは逆光で影に見えるので、何らかの感情を有しているのかはわからない。
「ではいずれお迎えにあがりますので、準備をしておくように」
すう、と煙のように姿を消した狐を見送って、文机を脇息のようにもたれかかった。これから死ぬのに、準備も何もないだろう。
荷物はまとめてみたものの、私がここを立ち去れば勝手に処分されるはずであるので、身ひとつで本丸を出ることになる。お別れだとか謝罪だとか挨拶だとかそういった類のことはすべて、昨日のうちまでに済ませてしまっていて、こと当日にいたっては朝から水を打ったような静けさだ。しかし彼らの誰にも、私の処遇がどうなるかについては、一言も告げていない。昨日までも、彼らに「元気でね」と言われるたびに曖昧に答えていた。
午砲が鳴るまでに政府に来いというのが狐のお達しであったので、そろそろ出てもいい頃合いだろう。羽織に袖を通して、襟巻きを手にとって見た庭は、すっかり雪景色になっている。もうこの頃では私はこれらを維持しているだけで精一杯だ。年を越してしまったらきっと、景色の維持はまずできなくなり、そして一振りずつ……というような気配がしている。この日に本丸を後にすることは、うまい差配と言えよう。
私室を後にして障子を閉める。かたた、という生活音が耳についた。離れから本丸へ。渡り廊下から見える庭に今は誰もいないが、毎年雪が降る頃合いになると、朝から賑やかに雪遊びに興じる姿が見られていた。執務室を行き過ぎる。慣れない書類に追われた日々が懐かしい。大広間にもまた、誰の姿もない。私の次に来る審神者と、彼らはまたともにここで宴会でもやるだろう。賑やかに楽しかった日々のことが思い出されるけれども、案外靄がかかったかのように細かなことは頭から引き出せない。冷静でいるふりをしてはいるものの、きっと自分自身の処遇に対する恐怖は、心の奥底に横たわっているのだ。玄関先まで来て、ああ手袋を、持ってくるのを忘れたと思った矢先、
「おい」
気配もせず後ろから声がかかった。
「いくのか」
思いもよらぬ声と、そもそも誰かに見送られるはずではなかったために反応が遅れる。
「……ええ」
「どうしてもいくんだな」
「そう、ですね」
どこか引き攣ったような発声のしにくさを感じながら、靴箱の扉を開いて草履を引き出す。三和土にそれを置いたときに続いた言葉に、驚いたのは言うまでもない。
「この俺という刀を置いて」
声の主と、言葉の内容とが、どうしても合っているようには思えなかった。彼が今までそんなことを言ってみたことはなかったし、昨日までにすませた挨拶の中でも、とりわけ淡白に言葉を交わした部類であったのに。
「申しわけなくは、おもいますが……いまの私にはもう、どうしようも」
振り返った先で目にした大倶利伽羅は、かろうじて得物と鎧を身につけていないものの、戦装束に腕を組んでこちらを見下ろしている。睨み付けている、と言って過言でない眼光の鋭さを向けられて、自然と身体が怯んだ。じり、と足が後ろにずれる。
「ながらく、世話になりました。……どうかおげんきで」
まっすぐに向けられている、私を咎めるような瞳に、居心地の悪さを感じるとともに、その見慣れた姿と向かい合っていると、ずるずると未練を残してしまいそうだ。これ以上余計な執着を増やしたくはない。依然睨め付けるだけの彼の視線に居た堪れなくて、逃げるように草履を確認する。瞬間、彼が私の腕を強引に引いた。よろけた足元のふらつきをそのまま利用されて、ずるずると移動させられる。
「まって、おおくりから!」
どこまで戻る気であったかはわからないものの、私が暴れたからか、手近なところで壁際に追い込まれる。
「なに。どうしました」
ぐっと腕を抑えられて柱に押しつけられれば身動きも取れない。それでも抵抗をしていれば、顎を捕らえられて彼と視線を合わせられる。
「はなして、」
「あんたが震えているのは俺が恐ろしいからか?」
「え……」
再び思いもよらぬ言葉が投げかけられて静止する。震えている自覚などないに決まっているのに。
「そう、いう、わけでは……だいいち、ふるえてなんていません」
そう言った声が、情けなく揺れたのが自覚された。目の前で大仰にため息が落ちる。視線の先で一度伏せられた瞳が、ゆっくりと戻ってきたのを見せつけられた時、覚悟を決めたようなその瞳の色に、本能的にどうにか解放されようと身を捩った。
「やだ、ねえ、いかせて、っ!」
抵抗をやめない私に痺れを切らしたのか、く、っと顎を支えていた手が器用に気道を塞いだ。抑えられていない片手で抵抗を試みるものの、私などの力で敵うはずもなく、次第に酸素が足りなくなっていく。苦しくなっていく身体に、数時間後に自らに横たわるであろう死とは、この先にあるのだと頭をよぎった。視界がぼんやりと霞んでいく。抵抗する力も入らなくなり、するりと自らの手が重力に従って落ちる。途端に気道が解放されて、げほげほと盛大に咳き込んで大きく空気を吸い込んだ。こんなことで恐怖を感じていては始まらないと思ったけれど、始まるのでなく終えるのだと、冷静な言葉が脳内に居残る。ずるずる座り込む身体を片手で引き上げられるのに抵抗すらできず、隣ですこんと開けられた障子から、畳へと投げ出されるのにも抗えない。もつれた足もうまく動かずに、かろうじて受け身をとるので精一杯だ。
丁重に閉てられた障子の音に我に返ったものの、すぐに彼が私に馬乗りになる。身動きをとることも適わず、その表情に意図を見るだけの余裕もない。ただ視界に過ぎったのは、彼の腕を巻く龍で、呼吸を整える隙すら与えられないうちに、わけなく呼吸が遮られた。──あまい。……? それで、唐突にこのひとが何をしようとしているのかの見当がついた。どうしてそのもう一つの選択肢を彼が知っているのか、悟らせぬままに、その甘美な力が私を支配しようとする。とろりと絡められて呑まされていく彼の唾液が、私の心身を侵食して、強引にでもここに引き止めようとしていた。
「んんん」
わずかに首を振ってみても、唇は離されない。舌先を噛んで窘められ、それをなぞられては唾液を誘発するように水音を立てる。口角からこぼれ落ちたものは、彼の指が掬って丁寧に押し戻した。唇を食んで、舌を押し込んで……そのうち酩酊したように思考も身体も朦朧としていく。これも恐らく彼の手のうちだろう。彼らは、半分は私の力で人間の身体を維持しているのだ。急激に身体を乗っ取られる感覚があるのは、彼らの力に親和性がないはずがないために違いない。その揺さぶりがそのまま、思考をかき混ぜていく。初めは彼を押し止めようともがいていた手も、その意図すら把握できにくくなってきて、次第に彼の装束をただ握り込むのみにしか働かなくなってしまった。どん、と遠くで午砲が聞こえる。
「……はな、し、て」
その音にほんの少しだけ意識が戻される。神様相手にそんなことを言うのもなんだが、彼も決して聞き分けの悪いひとではない。それだから、主人である私が本当に望むのならば、叶えてくれるのだと信じていた。やはりこんな不埒なやり方ではだめだったねと、苦笑して、私を諦める。そうして、審神者としての役割を全うするほうが、どれだけ健全だろう。わずかに離された唇に、あえて余裕を与えられたのか、やっとの思いで彼の瞳を見上げる。言葉の多いひとではないけれど、それにしても彼は私をじいっと見据えるのみで何も語らなかった。身体が離れて、押さえつけられていた力も緩んで……彼も悪あがきをやめてくれるのだろうかという期待とともに、残された力で意図的に身体を離す。すっくと立ち上がって距離を取りたかったのにそうはいかなかったのは、たったこれだけのことに腰が抜けてしまっていたからだった。身体が久しぶりに潤されるような、しかし無理やり何かを押し入れられたような妙に重たい感覚が、全身を支配している。思うように力が入らずにずるずると身体を畳に這わせていれば、それを意にも介さないように彼が私の襟巻きに手を伸ばした。
……まだ彼は、私を諦めてはいないのだ。それは簡単に外されて、彼の後ろに退けられる。次いで羽織紐を難なく外した彼の腕が、私の悪あがきを無駄だと物語っていたけれど、それでも抵抗をやめるわけにはいかない。こうしていればいつか諦めてくれるだろう。そう、願っている。事実、彼は強引ではあるが、乱暴ではない。本当になりふり構わないのであれば、ほぼ抵抗力を失っている今の私を蹂躙するのは容易いはずであるのだから。
「ね、やめましょう、おねがい」
必死に身体を引く私から、それでも彼はあっけなく羽織を落とした。唸ってみたり睨んでみたり、してみたところで威嚇にすらなりはしない。そのうちに壁に背がついて、逃げ道が失われていることを知った。それに気が付く頃には、帯揚げと帯締めが解かれている。
動きを止めた私に、彼の腕が背に回る。それが何をしようとしているかなど明確で、やだやだと動かぬ身体で抵抗してみても結果は変わらなかった。帯を抜き取られて、それも彼の背後へ。せめてそれ以上を避けようと、すぐ隣に積まれてあった座布団の束に手を伸ばす。ここが客間であったことを、判断力の鈍った脳内がそこで初めて気がついた。そんな私を尻目に、座布団に俯した私の腹にもじわりと手が這って、彼は躊躇いもなく腰紐を解いている。
「おおくりから、ねえ、」
彼は私の呼びかけに決して応えない。どうしてこんなことになってしまっているのだろう。彼には、主人という存在すらももしや必要がないのではとすら思っていたのに。座布団に顔を伏せて、身を縮こめて、もう半分は覚悟していた。今の私の力では、──そもそも彼らに比べて非力な生身の女の抵抗など、彼に本気で襲い掛かられればどうしようもない。
「たすけて」
心細く詰まった声は、嘆きであり最後の嘆願であった。行動を止められない以上、言葉に頼るほかない。……これ以上彼に触れられてしまえば、私は、卑しく彼に助けを求めてしまう。身体が求めるままに、理性など差し置いて。だから、届いてほしかった。
大倶利伽羅は、私の言葉にぴたりと背後で動きを止めた。襟首を掴んでいた手が離れて、ついで身体も離れる。酩酊したような力の入らなさには変わりがないけれど、彼の気配が薄らいだことに安堵した。のろのろと身を起こす。いく前に妙な心残りを置いてしまったと思う矢先、ぐいと肩が引かれた。同時に後ろから腹を引き寄せられて自然と座したのは、彼の膝の上だ。
「あんたの考えはわかっているつもりだ」
凛とした、正気の声が発される。されるがまま視線を合わせると、琥珀色の瞳がまっすぐに私を見た。なにか答えなければと思う私の方が、こんどは言葉が出ない。かろうじて「でも」と言えたか言えないかという音をかき消すように「だが死にに行くのは許さない」と彼が言う。
「どうして」「当然だろう」
私の意図した”どうして”は、なぜそれを知っているのかを聞くための言葉であったが、彼は”死んではならない理由”を問うたものと思ったらしい。わずかに皺の寄った眉間が不快感をあらわにしていて、私を支えている腕に力が入る。
「あんたがどう思っていようと、俺は勝手にする」
「そんな……ゆかせてください」
後生です。と言葉が続いた。私には後生もなにもないのに。それを見透かしたように、再度唇が塞がれる。ほんの少し顔を引いた抵抗など無駄で、彼の手がそれを許さない。
「う、うう」
舌をなぞられるとすぐに全身の力が抜けた。混ざり合う唾液を飲み下すたびに、身体の内側が燃えるように甘く熱くなっていく。顎を支える手が首筋をなぞって、ざらりとした手甲の肌触りが余計に私の発熱を促した。鼻に抜けていく音が、それを乞うて媚びている自らの声だと彼の手が襟首から背中に入ってようやく気づく。
「ん、っ、んんん」
うなじから襟の中へ彼の手が這う。ぞわりと肌が立つ感覚を避けることなどもはやできない。ゆっくりと、片方ずつ肩を落とされるのを、私はただ受け入れるしかなかった。腕の内側に手を沿わせて、袖から腕を抜くように彼の手に導かれる。着物は簡単に、襦袢ごと腰元に落ちた。ようやく呼吸が開放されても、ぐたりとした背を彼に預けることしかできない。乱れた呼吸を少しでも落ち着かせようと大きく息を吸った時、
「あっ、……?」
──火をつけられたとすら思われた。ぐわりと身体を混ぜられるような感覚に平衡感覚を失いそうになる。私の困惑を差し置いて下着を脱がされてしまったのにも構うことができず、奥底から燃えるような感覚に身体を竦ませる。彼の装束の布地の感覚に、じわりと汗が滲んだ時、あらゆる感覚が引き上げられてしまったのだと思い知った。咄嗟に抱き込んだ彼の腕の感覚が、それが触れる胸から腹にかけての熱さを増す。
「ひっ、ぅ、」
普段はわずかにしか感じられていなかった彼の匂いが、鼻の奥から脳を刺激して身体の内側の切なさを増幅させた。
「やだ、っ。ゃ、なに、これ」
なにも決定的なことはされていないはずだ。それなのに、身体が、極めかけている……? 自分の身体の状態が把握しきれないなど、そのようなこと、もちろん今まで体験したことなどない。
「ああ、」
ぞくぞく、と身体中が震えて歯止めがきかない。熱い。気持ちいい。感じられる感覚が、舌に残る甘さと、熱さと、気持ちよさだけに絞られていく。ぱた、と腕にあたったもので、許容量を超えた身体的感覚に涙腺すら壊れたのだと気付かされた。快楽を押し留めるように身体を縮こめていたものを、ぐっと腕で持ち上げられてその根源のひとを認識する。
「おお、くりからっ、からだ、へん、なの、」
当然返事はない。けれど私が縋り付いていた腕がそのまま目尻を強引に拭った。その動きにすらも身体が震える。潤んだ視界の先で、ゆるやかに撫でられた太腿が、意思に反することすらせずに彼の動きのまま脚を開いた。それを待っていた指先を簡単に許す。押し当てられた指先と布の感触が不可思議であるのに、身体はその先を求めてわななく。
「ぅああ、っ、ぅう」
は、は、と犬か何かのように呼吸する音が聞こえる。軽く押し込まれたり、その上の突起で遊ぶ彼の指に、足袋を履いたままの爪先が力の限り畳を滑る。気持ちが良い許容量を超えそうな身体は逃げを打っていて、爆ぜることなくわだかまり続ける快楽のような熱に反射で背が反る。そうしてこの体勢の意味を悟った。彼の身体から香る熱と、腰に当たるその硬さのわずかな感覚が、燃える身体に油を注ぐ。もう、無意味な音しか紡ぐことができない。もっとほかに言うべきことがあったはずなのに。もっとほかに、考えなければならないことがあったはずなのに。
「ひぁっ!!!」
私が縋り付いているから、片腕はただ鎖骨のあたりを撫でるだけしか動かないけれど、もう片手は雄弁だ。ぬぷり、と入り込んだ指が、浅いところで私を手懐けた。その第二関節までも入っていないような指先を切なく締め付ける。耳まで届くいやらしい音をたてて、それでも単調に抜き差しされた。
「んん、う、うぁ」
意識の外で身体が跳ねる。もっと奥へと誘うようにそこが蠢いているのに、それ以上は与えられなかった。彼の嵌めている手袋の指先から、水分を吸って色が濃く変化しているのが見える。ゆっくりと抜き取られた時にはとろりと粘液が糸を引いたのに、もう自分の状態を恥じる理性も残っていなかった。快楽を与えて遊んでいた指と、私が縋り付いて抱きかかえていた腕が、そこでようやく取り上げられる。
彼の両手が、私の前に掲げられる。彼としては特に意図などないだろう。眼前で、手のひらの窪みを指がすべる。手の甲まで布が押し上げられ、指先を順に摘んで手甲が引き抜かれていく。次第にあらわになる指が、しっかりとした太さを持って、彼らしい鍛錬されたかたちをあらわした。もう片方の手も同様に素肌を晒す。なんのことはなく、手甲が抜かれる動作が、無為に私を焦らす。手甲は適当に畳へ放られて、熱い手のひらが力の入っていない太腿を支えた。私の視線が、彼の手を追っていたことをわかっているのだ。愛液を掬った指が、ゆっくりと見せつけるように押し込まれていく。それだけで。
「ひっっ、っ、あぁあ」
……それだけで、身体が甘く達した。その指のかたちを感じられて、いたたまれなくなるたび、意に反して締め付ける。ゆっくりと引き抜かれるにも声が詰まった。
「あっ、く、ぅ、んんん」
甘たるい女の声が耳につくものだから、自ら手で口を塞ぐ。必死に声を抑えていると呼吸も詰まってことさらに朦朧とする。すると力が緩んで、また鼻に抜ける声が喘いだ。
「ひっ、う、んく、ん゛んぁ、ああ、っ」
ゆるやかに引き抜かれた指にもう一本が添えられて押し戻される。粘液を巻き込んだそれらが動くたびにぐちゃりぐちゃりと音を立てる。手首の筋が動くとともに、龍が生きているように蠢いた。それで、わたしは、大倶利伽羅に、きもちよくされているのだと、見せつけられる。
「あああ!」
甲高い声が抜けた。ぐ、と押しこまれた指が確実にそれを狙ったのだ。じっとりと焦らすようだった指が動きを変える。
「ああ、ぅ、あっ、あああ」
くちゃ、ぐちゃ、という水音に劣らない粘液が、彼の手のひらをつたって落ちる。見るつもりなどないのに、その動きに視線が釘付けになった。縋るものなど彼しかなく、腕を掴んで彼の胸に背を擦り付ける。しかしそうすると、再び彼の匂いに包まれて、腹の中に快楽がわだかまっていく。達しそうになるたび、ぎゅうぎゅうと身体に力が入って汗が流れるけれど、乱れた呼吸を整えられる隙もなく、すぐに片手が快楽の先をなぶった。
「ひっ!!! あ!!!」
ばちばちと脳内が閃光に犯される。力が入ったので、私が達したことなんて、彼はわかっているはずなのに、
「ま、あっ、っっっ!!! いっ、」
逃げられない。身体を引こうと爪先に力を入れても、後ろから支えられているのだから、それはすぐに滑って力を逃してしまう。どくんどくんと蠕動する粘膜が、彼の指をぎゅうぎゅうに締める。それでもどろどろと溢れ出す愛液をなんどでも指に絡めて陰核を擦り上げる。もうやだ、もういらない、と脳内が警鐘を鳴らしているのに、言葉で発散させる隙すら与えてもらえなかった。ぷくりと膨れたそこの皮を引っ張られて、あらわになった中を指が容赦なくすり潰す。髪を振り乱して意思を示してもなににもならず、何度でも追い詰められる。思考を放棄しろと、彼の指が迫るのだ。ついには中の指が、そのちょうど裏あたりの泣きどころを押し込んで
「も、や、っそれ、っっっだめ!!!」
ひときわ大きく身体が逃げを打った。尿意にも似た感覚に触られることを身体が拒んでいる。たすけて、もういった、死んじゃう、と細切れに伝えてもその頂を見るまでは許されないらしい。許容量を超えた快楽に涙がぼろぼろとこぼれる。指が甘く押さえる中も、外も、たまらなくなって、ついにそれが弾けた。
「あ゛っ……! おおくりから、いっちゃ、っ!!!」
もう何がなんだかわからないうちに、太腿が濡れて冷えていく。それを確認してもなお、数度それが続けられて、立て続けに絶頂を仕込まれる。力んでいるのに身体に力が入らない。もうどうもしてほしくないのに、気持ちがよくてたまらない。呻くように絞る声帯が焼けるように掠れる。逃げたい。逃げなきゃ。何から? いかなければいけないのに。どこに。きもちいい。もういらない。もっと。熱いしぶきに濡らしてしまった龍が見える。快楽の底に私を叩き込むそれを、またいやらしく私が濡らした。痙攣するように腰が震える。ひどい様相のそこから抜かれた指から、名残惜しそうにしずくが落ちている。背後で変わった様子も見せない彼とは裏腹に、私の身体は全身で脈打っている音が聞こえてしまいそうなほどに追い詰められていた。思考回路など当然機能するはずもなく、「そうだな」と彼が背後で答えたことで、私が「ひどい」と口走ったことを理解した。なにが、とか、どうして、とか、言葉の前後は芒として浮かばないけれど、落ち着きを取り戻しつつあるはずの身体が、もっと確かな熱を求めて渇きだしたことに怖気付く。
「も、やだ」
と呟いた声が、自分でもまったく効力を持っていないどころか、対極のことを乞うような音だと思う。力が抜けたまま弱々しく駄々をこねる私を、なんでもないことのように手を拭った彼が、再び座布団へ伏せさせる。このままことを進められてしまうのだ、とぼんやりした頭が思い浮かべるほどなく、やわらかいものが視界を遮った。
「好きな男のことでも考えておけ」
絞られる感覚にはっとするまで、それが目隠しだと気づけなかった。解く頭もなくただ確認のために手を動かせば軽くあしらわれて、髪を撫でるように梳いていた手が首筋をあらわにする。かさりと乾いた、薄く柔らかい感覚で、うなじに口付けられる。
「あとで折ってくれて構わない」……こんな方法しかなくてすまなかった。
落ち着いた声で囁かれた言葉に、じわりと涙が滲んだ。目隠しをされたことでそれを見られないのが好都合だったかもしれない。
私は決して彼自身を拒みたいのではない。ただこれを受け入れてしまったら、彼らに、──彼に無理強いをするようで、そんなことをするくらいならいっそ、この想いごと擲ってやろうと覚悟していたまでだった。こういう手段をもってその覚悟を挫きにくることは想定外なのだけれど、そのために私の前に現れたのが、大倶利伽羅であることを、私は下劣にも、幸せに思っている。だから、そんなことを、言わせたくなんてなかったのに。
「おおくりから」
確かに彼を呼んだのに、彼は耳元で、しーっ、と私を黙らせた。それでどうしても、彼が恋しくなる。つ、と冷たいものが背筋に触れて離れたのは、彼のペンダントだろうか? 衣擦れの音がするので、脱衣するために身体を離したのだろうけれど、急に感じられなくなった気配に寂しくなった。後ろを確認しようとするも、視界が遮られているのだからなにも分からない。私はただ、身を縮こめて、じっと彼を待っていた。
やがて戻ってくる手のひらが熱い。すぐにでも及んでしまうのだろうと願ってすらいたのに、あくまで、私を溶きほぐすことは忘れないらしい。柔らかな髪が肌にあたり、執拗になぞられる首元に声を促される。じっくりと、じんわりと、まるで肌の表面を溶かすような動きに、全身の感覚が逆に撫でられるようで身体が震えた。
「ぅ、……く、ん……」
視覚で確認できない分、ささやかに触れられるだけの指先の感覚もすべて身体が拾う。渇いてかすれた唇が肌をすべっていく感覚に背筋が震える。愛らしい音を立てて背中に口付けが落とされた。彼の体温が恋しい。熱い手のひらが腰を支えて、熱いものがゆるゆるとそこに押し当てられる。私のぬめりを利用して、太腿の間でそれがゆっくりと、段差を引っ掛けながら動き出す。
「ん、んん、っ、」
いっそひと思いに乱暴されれば彼を憎悪さえできるかもしれないのに、そういった逃げ道を用意するようなある種の卑怯さを彼が持っていないことくらい、知りすぎるほどに知っている。重ねられた身体が暖かく私を包んで、首筋に埋まって軽く肌を吸う唇から、熱い吐息が溢れた。……焦らされているわけではないのだと思う。労られているのだろうけれども、身体に蓄積した熱にはそのゆるやかさが毒だ。堪らなくて首を振ると、水分を吸ってくれない布地に、しゃくりあげた声を自覚した。口を開けば、彼を望んでしまう。自らの進退を差し置いて、なんのための行為であるかも忘れて。かろうじて言葉に出さない理性を繋ぎ止めているのに、身体は脳を差し置いて腰をくねらせる。彼のものの先端がそこに押し付けられるたび、どうにか迎え入れようと躍起になった。
「も……っ、う、っ、っぅう」
私の近くに立てられているだろう腕を探す。手探りで探し出して、その手の甲を覆うだけの気力もなく、親指をぎゅっと握る。
「っ! 、っは、あ! あああ」
それを合図にしたかのように身体がきつく押さえつけられて、一気に中に押し込まれた。
「っく」
唸る声が、首筋に押し付けるように皮膚を震わせた。そのわずかな振動に背筋がぞくぞくと震える。中に感じる質量が、重たくて、気持ちよくて、熱い。奥の、奥の方までもぐり込むそれを必死で呑み込めば、すぐに背が反った。
「んん!」
奥の、いいところにわずかに押し当てられているそれを、けれどもやっぱりすぐには激しくしなかった。ぐりぐりと押し付けるように動かされはするものの、ひどく抜き差しするようなこともせず、きっと彼も苦しいだろうに、私を甘やかすように耳朶を噛む。舌がゆるやかに這うたびに背筋をなぞりあげる感覚が、呼吸をさらに熱くした。ゆるやかに、ゆるやかに、与えられる舌や唇で、力を抜けと促されるように。
「お、くり、からあ、」
私からかろうじて彼を求められるのは、たどり着いた親指だけだったのに、それすらも位置を変えたことで簡単に取り上げられる。身体を密着させたまま位置をずらして、腹に腕が回った。とん、とん、とゆっくりと奥を捏ね始めるそれに、縋るものもなく腕が伸びる。指先が座布団から畳へ達して、爪が畳の目を引っかいた。少しずつ激しくなっていく動きに、見えない視界が明滅する。熱い、熱い。身体の奥底に火を灯すような熱が、全身を支配する。わだかまる快楽をかき混ぜられて、気がついた時には止まらぬ声が甘く喘いでいた。なにも見えない。彼の身体を感じられるのも、抱かれた腹と、下腹部のみだというのに、私には、彼以外をどう思い起こすこともできなかった。
私とは色の違う肌を晒して、細いとは決して言えないその筋肉質な肉体が、私を背後から抱いている。私を追い立てる足腰の動き。さすがにその辺りの素肌を見たことはないけれども、きっと汗ばんでいるのであろう背中の、引き締まった美しさが目の前に現れる。筋の浮かんだ首元、喉仏。そこを彩る柔らかそうな赤い毛先。私を支える腕は、いつもはただ、彼の得物を振るうためにある美しく鍛え上げられた腕で、その龍を庇うことすらせず惜しみなく傷をつくるから、私はよくそれを手入れしていた。少し硬い、肉刺のある武人の手のひらは大きくて、その肌を見ることはあまりない。戦場へ向かう前、彼がきゅっとその手指を隠す手甲を整える仕草が好きだった。
がつがつと貪られる中が、彼のかたちを覚えこもうと蠢いている。先ほどまでは甘くしか突いてもらえなかった奥の、いいところを、見つけられて、その快楽に身体が跳ねる。
「ぃ、うう、っ! !!! あぁ」
きもちいい、に、支配されていく。頭を振って、自らの髪が肌をすべるわずかな刺激にも勝手に高ぶってしまう。がくがくと震える腰が言うことを聞かないのに、不意にその手のひらが下腹部を押したので、熱が暴走を起こした。
「あっ゛!!!!!! ゃだ、それ、っ!!!!!」
手のひらの熱と、中から押し込められるそれが、いいところを挟み撃ちにする。突かれるたびに手のひらがそこを押して、快楽を簡単に増幅させた。ひどい快楽なのに、それでも身体が貪欲に彼を求めだす。ほんとうは、はじめは、求めさせられた、のかもしれなかったのに、もうそんな片鱗など微塵もなくて、私が、私の本能で、彼を求めていた。自分の状態など俯瞰できないのだから、恥じらいもなにも感じることもできずに、腰を反って突き出す。そこを彼に差し出してしまうかのように上半身がくず折れた。彼に応えるために、脚に勝手に力が入る。水音のひどさと、あわいから零れる愛液のぬるさ。
「ああ゛゛っっう! お゛、くりか、らっっっ、いっ、ちゃ、っっっ!!!!!!!」
甘さすら飛ばされて媚びの色しか表れていない、飾り気もなにもない声に、瞬間だけ羞恥心が戻って快楽が増す。彼は今どんな表情をしているだろう。私の身体を暴いて、こんなにはしたない体たらくに堕として、それで、あのとろみのある美しい色の瞳で、私を見てくれているだろうか。先ほどからずっと、吐息の音のみが聞こえて声の気配すら感じさせない。きっとあえてしているそれを、保つために、散々私を甘やかしてやさしくした、薄い唇を噛んで、耐えてくれているのだろうか。それはきっと、自らの気配を消すことで、私を惑わせて、この行為に狂わせてしまえるようにするためだろう。それに比べて私は、どんな隙にも、もう彼のことしか考えられない。
「いっっっ!!! いく、いきますっっ!!! あっ、ゃ、あああっっっ! おおくりから、あ゛!!! いっちゃう、!」
ぎゅうと身体がそれを絞って、汗が吹きでる。大きな絶頂の瞬間から止められない蠢きの中で、彼自身を刻みつけるように穿たれる。逃げ出したいほどの快楽から逃げることが許されるはずもなく、最奥を開いて受け入れろと請われている。それが必要なのだ、この行為の目的のためには、絶対に。
「ぅ、ぐ」
そこで久しぶりの彼の声を聞いた。正確には喉が鳴ったような音だったが、それでも、その音が恋しい。必死に座布団を掴んでいたらしい手を後ろに伸ばす。揺さぶられながら、ぐちゃぐちゃになりながらなので揺れて不安定で、彼はそれを手に取ってくれなかったからすぐに重力に従って落ちてしまった。
「ぅ、っうう、また、っいく、っっっ!!! きもちいい、っっ、おおくりから、っ、きもちい?」
もう一度彼の喉が鳴る。腰を強く掴まれていて、ぱんぱんと肌のぶつかる音が響いている。中のものが質量を増していて、好き勝手されているようなそれが、もうすぐ放たれるのだと身体が期待した。きもちいいと叫ぶ身体がそれを受け入れる準備を整える。絶え間なく何度も絶頂を繰り返しているのに、腹の底が渇いて、彼を渇望する。
「っひっ、っう゛゛゛、いって、ぅ、のに、いく、のにっっっ、もっと、!!! ほしい、っ!!! おく、だして、っ、おおくりから!!!」
そこでがつん、と打ちつけられて、喉の奥が引き攣った。手のひらで下腹をぎゅうぎゅうに抑え込まれながら、身体が密着する。汗ばんだ肌を感じたのも束の間、何度か彼がひどくそれを打ち付けて、熱い吐息がうなじにかかった。髪も乱れた首筋に、そのまま噛み付かれる。と同時に、彼が達して渇きが潤される。
「あああああっっっ!!!」
悲鳴をあげたも同然の声で、その飛沫にすら快楽を植え付けられる。奥へと押し留めるようにじんわりと擦り付けるそれがすべて出し尽くされるまで、腕の力強さは解放されることがなかった。
どん、と遠くに聞こえてぼんやりと目を覚ますと、見慣れない部屋の明るい天井が見えている。障子が閉てられているけれど、その明るさからすれば先程のは午砲だろう。ひどい怠さと軽く着せられた肌に触る夜着に、あったはずのことを思い起こして、彼の姿を探したものの肝心の当人はおらず、ただ刀が枕元に転がっていた。私が顕現を解いてしまったのか、それとも彼が勝手に戻ることができてしまうのか? 瞬間で肝を冷やしたものの、ふとなぜか彼の気配を感じて、ひとまずは安堵した。おそらく顕現を解いてはいないという感覚があるものの、同時に身体の奥底の渇きに懲りもせずに襲われる。思えばこの部屋は彼の気配しかせず、入ってみたことはなかったけれど、恐らく彼の私室だろうと伺われた。その匂いに、彼に満たされたはずの身体が揺れる。
「ぅ……」
思わず、守るように身体を抱いたのに、それがわずかに胸の先端を掠めて、快楽の萌芽を感じる。身体を縮こめてみれば、折り畳んだ脚に下腹部が押されて、どろりとしたものがそこを汚した。
「なんで……」
泣きそうになったのは言うまでもない。どうすべきか分かりすぎるほどの疼きが湧き上がって、自由な手がひとりでに動き出す。少し前まで散々咥え込まされていた身体は、まどろっこしいことをすべて飛び越えさせてしまって、すぐに夜着を割ってそこに指が触れた。それを確認することもせず、彼の名残だと決めつけて指を濡らす。片手は布地の上から胸を鷲掴んだ。それだけで熱い吐息が漏れる。くちゅくちゅと布団の中で密やかな音を立てて指を動かした。無意識に太腿を擦り合わせているとすぐに、彼の手のひらがそれを割る熱さを思い出す。すると不足を感じてつま先がきゅっと丸まった。手のひらを使って全体的にすべらせながら、硬くなっていくそこを時折指で捏ねる。誰もいないというのに声を抑えていたけれど、次第に噛んだ唇の隙間から息とともに音が漏れはじめた。くりくりと突起を弄りながら胸の先端も同様にしていると、彼にされた覚えのないようなことすら、その姿が頭に浮かんで欲情を煽る。けれどどれだけ触っても、気持ちがいいのに、絶頂の予感は遠かった。中が欲するので指を差し込んでみても、自らのそれがここまで頼りなかったのかともどかしく知らされる。教え込まれた気持ちのいいところに、自分の指では届きすらしない。
「っ、ぅ、っ、あぁ」
漏れ聞こえる声が他人事のように切ない。動かし続ける指先に応えない身体から、汗がたらたらと流れた。呻きながらついに布団を剥がしてしまってもやめられずに、それで、目についたのは、置かれたままになっている彼の得物だ。あの美しい刀。すべらかな肌と、澄まされた刃、雄々しい彫刻。それらを包む葡萄色の鞘、金の鍔。あの、重さ。……私の美しい刀。その姿を見とめて、気がついた時にはそれに手を伸ばしていた。それが今ここで、唯一たしかに彼を強く感じられるものだった。柄に顔を寄せると強く感じられる彼の雰囲気が、私をたまらなくさせる。身体に引き寄せて、抱きこんで、肌に当たる鍔の冷たさを感じながらも、熱く昂っていく身体を慰めた。くちゅくちゅという音だけが遠い。
「んんぅ、なんで、たりないっ」
わだかまるだけの熱を弾けさせることもできず、目尻に涙がたまる。体温が移ったかのように、身体にあたる刀もぬるくなっていく。
「ああ、っ、……たすけて、」おおくりから
目の裏で思い描く人とその肌の熱さを呼ぶ。名前を呼ぶだけで、身体が反応して力が入った。そこで、よく知った溜息が聞こえたのは、決して妄想ではない。部屋に戻ってきた気配すら気がついていなかったので、驚きに背筋が伸びる。
「その状態ならもう心配いらないだろう」
ついで聞こえたのも、普段通りの声色のはずなのに、急激に身体の疼きが増す。
「あっ、ああ、」
入ったままだった指を自ら締め付けたのがわかる。ぎゅっと閉じていた目を開けると、私を見下ろす瞳と目が合った。
「なんで、わたし、っ、あ、あああ」
きゅんきゅんとわななくそこが、別のものが欲しいのだと主張する。応えてくれなかった熱が、彼を見とめた瞬間に発散を求めた。ぼろ、と目尻から涙がくだる。
「あんたのような人間が力を無くすと、空の器のようになる」
彼は私に手を触れようとしない。必然的に行為を止めることもしないのだから、冷静な瞳の目前で、身体が極まっていくのを見られてしまっている。
「その空いた器に、あんたのものではない力を取り込んだから、身体がそれに順応しようとしているんだろう」
「ひ、っぅぅ、こえ、だめ、あっっっ」
彼の言うことの半分は、なんとなく身体の状態から察しがついた。けれどそのようなこと、かくかくと揺れる腰と、止まらない手の動きには支障をきたさない。彼の膝に手を伸ばすけれど、彼を触ることもできずに、畳に広がる布地に触れる。
「じきに慣れる。今は発散させておけ」
それをするりと躱して、彼は自らの得物に手を伸ばした。
「狐を呼んでくる」
「やっ……っ! ぅ、やだぁ」
とくん、と身体が甘く達する。ぜんぜん、足りないけれど、求めているものがこれではないのだから、きっとどれだけしても物足りないだろう。それなのに彼は私に触ろうともせず、挙句刀まで取り上げようとしている。こちらに伸ばされた手を掴んで、彼を止める。自分の濡れてふやけた指を気にすることもできずに、手甲の上から握って彼の手を押し留めた。もう片手で刀を抱え込む。
「……離せ」
その言葉に首を振って、駄々を捏ねているのも同然だ。こんなことになる前まで、自ら彼から逃れようとしていたなどと考えられない有様に、自分でも理解を拒絶している。刀を抱きかかえて力を入れると、もう一度盛大に溜息が落ちた。刀を諦めたらしい、簡単に離れそうになる手に追い縋る。
「いかないで」
「……人恋しいなら好きな刀を呼んできてやる」
そこで今度こそ感情を伴ってじわりと滲んだ涙を、隠すものがなかった。やだ、と落ちた声が震えたのは、彼の意図がやはりわからなかったからだ。ほんとうは彼も、あんなことしたくなかったのかもしれない。色に狂わせたままにしてくれたらよかったのに。こんなに知らされてしまった熱を抱えて、この後もこの本丸で審神者として生きろだなんて。
「俺はあんたに、ただ生を望めと言ったんだ」
あとからあとから流れ落ちる涙を拭う術もない。しゃくりあげながらぼやけた視界で彼を引き留めていたのに、あまりに簡単にその手は逃げる。すぐに私に背を向けることはなかったものの、取り上げられてしまった体温に、悲しさを抑えるように刀に縋った。
「俺を求めろと言ったわけではない」「だって、」
その言葉に反射的に声が出る。
「っ! おい、」
そこで彼の方が何かに焦った声を出して、すぐに私の肩を掴んで仰向けに転がす。寝乱れた髪を一房持ち上げられて、目前に掲げられたその毛先に、じゅわりと赤が滲んだのを見た。はっとした彼が乱暴に私の目元を拭って覗き込む。眉間に皺が寄っていたけれど、それがどういった表情なのかは推し量れない。
「……今すぐに俺を解け」
逡巡するように開閉された唇からそんな言葉が絞り出される。「なんで」即座に答える私の声も当然、震えていた。
「今ならまだ間に合う」「やだ」「そう易々となんでも受け入れるな」「なんでもじゃない」「あんたは今、力に惑わされているだけだ」
珍しく彼が言葉でたたみかける。冷静に聞こえはする言葉に滲むのは焦りのような色で、嫌悪ではないのだと、思いたい。
「大倶利伽羅は、いやなの? いやだった?」
肩を押さえる腕にぐっと力が入った。おかげで刀解を請われているはずの私の方が、身動きがとれない。眉間の皺が深くなって、彼の声は地を這った。
「……そういう話をしている場合ではない」
「これは、そういう話です。わたしは、引き留めてくれたのが大倶利伽羅で、うれしかった」
腕に乗ったままになっている刀身を、手のひらで撫でる。唯一私から確かめられる大倶利伽羅は、それしかない。その肌をなぞられた気に、なってほしかった。
静かに、彼の咽頭が動く。刀解する素振りすら忘れた私に、「これ以上は戻れなくなるぞ」といよいよ抑えられた声で彼が私を睨んだ。
「そう、してって、いってるの」
まっすぐに、その険しい瞳を見返す。あとに引けないやりとりなのに、琥珀のようなまるい色合いがすぐに涙にぼやける。ぴりぴりとした殺気のようなものに充てられて、鼻の奥が凝りもせずつんと熱くなる。悲しみとも切なさともとれない感情が次々と飽和していった。
「…………本当にいいんだな?」
それを紛らわせることすらできない瞬きの先で、彼がついに牙を見せる。香木が開花したように、ぶわりと全身に充てられる彼の気配に鳥肌が立った。やっと、こたえてもらえる。
「ぁ……、っ、だって、……だって」
彼は私の言葉をじっと待っている。私がそれを肯定する言葉を、言ってしまえば、もう彼は私を手放さないでくれるはずだ。
「好きな、男のことを、考えてろって、大倶利伽羅がいった、っ!」
ぎゅっ、と噛み締めるように彼の口元に力が入る。くそ、と小さく呟いて、彼の手のひらが私の目元を覆って力を入れた。顎を上げられて、おとがいのすぐ下を強く噛まれる。
「ひっ、ぅ、く」
甘く噛んで、舐めて、吸って。もう一度強く噛まれて呼吸が止まりかけたのに、じわじわと熱く熱を帯びたそこから体内を巡る彼の力の気配で、そこに、消えない所有印を捺されたのだと理解した。私のすべてを大倶利伽羅という神様に属させる印。私が彼を手放せないと同時に、彼が私を手放さないという印。それを馴染ませるために、何度も何度も首筋を愛撫されるのを、ただひたすらに受け容れる。すでに高まっていた身体は、ようやく与えられた彼の体温に、すぐにでも砕けてしまいそうだ。
「あぁ、」
背筋がぶるりと震える。喉が焼けつくように渇く。唾液を呑むたびに、その動きにすら身体が焦らされた。
「あんた、どうかしている」
ひとりで勝手に身悶えているのを見ていてか、首元で彼がそう言って、こんなことになってしまってから、はじめて密かに笑った。愛らしい音を立てて唇も、目を覆っていた手も離されたけれど、私は、愛らしいなどとはほど遠い表情をしているのだろう。目の前で簡易に手甲を投げてしまった素肌の指先が、つう、と鎖骨の間から顎までなぞりあげる。印をつけられたところを彼になぞられるとたまらなく身体が悶えた。それを満足気に見下ろす瞳と目を合わせながら、彼の指先に従って顔を上げる。
「口を開けろ」
望まれるまま口を開いて、望まれていない舌が躍り出た。彼は近寄ることもないまま、軽く唇を開ける。差し出された舌に唾液が伝い、やがてそれが珠になって、つ、と私の舌に落ちた。銀糸がつなぐそれが、水飴のように甘い。その甘露の一滴を、見せ付けるように、大切に、呑み下せば、それが通った舌や喉や、胸のうち、腹の底が、じくじくと疼きだす。
「……っ? んっ、うう」
それはすぐに火照りだとわかった。猫にするように私をくすぐる指先が、熱をさらに高めていく。喉が簡単にゆるんで、甘く高い声が鼻に抜けた。一滴の滴が、媚薬のように私に作用している。
「もっと、ほしい、おおくりから」
細めていた目を開けると、私を射抜く力強い光が、湛えた強さはそのままに弧を描いた。
「いくらでもくれてやる」
再び差し出された舌を、恥じらいもなく迎えに行く。丁寧に口内をすら弄られて、私がただ胸元に置いたままだった彼の得物を抱いているしか能のないうちに、彼はたやすく下衣を緩めて私の脚を割った。私の痴態を見ていたからか、はたまた彼も余裕を失ってくれているのか、焦らすこともせずに彼が身体に割り込んでくる。重たい、熱さが、前回よりも鮮明に感じられて顔を離そうと背けたのに、彼はまるであやすようにそれを阻止した。
「んん、っ、っっ」
そのまま彼が動くので、揺さぶられるままに唇がずれる。執拗に、執拗に甘やかされる唇に呼吸もままならなくなって、抗議のつもりで目を開くと、見たこともない熱を帯びた彼の瞳が、じい、とこちらを眺めていた。
「ゃ、やあ……っ、ん、んぅ、っ」
何度瞬きをしてみてもそうやって眺められていれば、失っていた羞恥心が簡単に戻ってくる。ついに手を伸ばして、その着たままになっていたジャケットを引いてみても、彼はよほど面白そうに目を細めるだけであった。
「お、おくり、から、」
唇が離れるわずかな隙間で彼を呼ぶ。息も絶え絶えであるのに、それでも止まって、とは言えなかった。昨日までの自分の運命すら忘れて、ただ、彼の心を寄せてもらえたことが嬉しい。何度も、何度も彼を呼べば、その都度、彼は声でも、身体でも、応えてくれた。そのうち私の身体に乗っていた刀が、片手では支えきれなくなって、滑り落ちかける。
「っんんん!」
落ちる寸前に彼が私の身体をひどく突き上げて、さらに身を寄せた。ばちばちと目の前が明滅して背筋が反る。それでも続けられる律動につい顔を横に振れば、ようやく唇が解放された。動きを止めないながらも、彼は器用に私の乱れた髪を顔から退かす。ああ、と声が落ちるのに、私すら彼に何を言いたいのかがもうわからなくなっていた。好意を口にしたいのか、欲望を求めたいのか。感謝を述べたいのか、甘えたいのか。しかしもう、事実として、この私の身体は、魂は、彼の手の内に握られている。
「……っ、ね、っ、もう、はなさないで」
転がり出た言葉に驚いたのは自分だった。彼の背に回そうとした腕が震えているのを、今度こそ自覚する。いたたまれなさに彼の身体に抱きつこうとする手前で、彼は動きを止めて私の顔を覗き込んだ。
「……案外わがままだな」
掠れた、甘やかな声だ。仕方のない幼子を愛おしむような表情で、彼が笑う。その感情の滲む声色に言葉を失っていれば、その様すら彼は満足そうに眺めていた。
「俺はあんたに使われていたい」
しっかりと、甘やかな瞳を合わせて、彼は言った。それから緩やかに抱き寄せられる。「人の言葉で言うならば」と静かに耳元で囁く声は、ほんの少し、恥じらいに抑えられていて。
「あんたの、ことを、好いている」……あとでゆっくり、あんたの名を教えてくれ。
今更鼓動が早鐘を打ちだしたのに、彼はそんなことには構いもせず、動きを再開させた。当然私には、その言葉に返事をする時間も与えられなければ、彼の表情を伺う隙すらもない。再び高められていく身体に、欲のままにその身体に身を寄せる。熱い、汗ばんだその身体が、ほんの少し早い鼓動を打っていることが、ただ、幸せだ。
「よくやりました」「お前のためではない」
細々とした話し声で目が覚める。明るい室内に響いているのは、いつも通りの狐の声と、いつも以上に押さえ込まれた大倶利伽羅の声だ。明け方には大義名分すら忘れていた情交に、悲鳴を上げた身体の節々が怠い。耳に入ってくる狐の言葉に脳が覚醒して身体を起こそうとすれば、彼の腕が私をきつく引き寄せて、肩までかかっていた布団を、さらに頬のあたりまで上げてしまった。
「第一、主人を殺す刀がどこにいる」
「ともかく、これは武功ですよ」
普段通りに戻った彼の声と、狐の声の向こうで午砲が鳴る。狐があれやこれやと今後の手筈を話している間、私には出せる声の音もなく、彼はただ黙って私の髪を梳っていた。赤く染まった毛先を弄ぶ彼の指を視線でたどって、その表情を伺う。緩やかに細められた視線の先で、私の瞳は、既に彼のものと同じ色をしているに違いない。
2022.02.26