彼女が高所恐怖症らしいということは薄々気づいていた。少しでも見晴らしの良い高台にでも連れて行くとすぐ、俺の半歩後ろに隠れてあまり景色を見たがらない。彼女の口からそうだと直接聞いたことはないが、その様子からはそれがありありと見て取れた。俺はそれに気付いていないふりをして色々なところへ彼女を連れて行く。いつ言い出すだろうと思いながら、しかしその怖がっている顔がまた一興だと思うのは悪趣味だろうか。
「お邪魔します」
初めて彼女が俺の部屋を訪ねてきたときもそうだった。エレベーターの中で心許ない顔をしていたのはわかったが、素知らぬふりで部屋に招き入れる。ここまで来てみすみす返してやるなどという芸当は生憎俺にはできない。
「どうぞ」
そう言いながら先導してリビングへと入ると後ろで足音が止まった。それもそうだろう。うちのリビングは窓が全面ガラス張りである上に、街全体が見渡せるほどには高いところにある。高所恐怖症であるなら、目も覆いたくなるような景色だ。彼女を振り向いても腕にしがみつくなり何も言う気配がないので、流石に全てのカーテンを閉めきった。
「高所恐怖症でしたか」
適当なところにかけさせてから、今まで気付かなかったとでもいうように言う。
「……バーナビーさん、わかっていたでしょう」
アイスコーヒーを台所から持って戻ってくると彼女は口を尖らせながらそう言った。
「ええ、まあ」
指摘してしまうとうちに来させるのに苦労するかと思いまして、と、それはさすがに言わずに、それでもあっさりと肯定した。ちらりと見やると彼女は呆れ顔である。
それからしばらくは会話などをしてまったりと時間を過ごした。ふと時計を見ると午後四時をまわったところだ。カーテンを閉めたままなので外の様子がどうなっているのかは分からないが、時刻のわりには室内が暗いような気がする。これは雨が降るな、と頭の隅で考えているとまもなく、その証明のように稲光がカーテンの隙間から漏れた。
「……雷、ですか」「雷ですね」
彼女の声のトーンがひとつ低くなる。
「ちなみにこのビルには避雷針がありますので、」
言うのが遅かったか語尾は凄まじい雷鳴によって掻き消された。これは近くに落ちたな、と思うと同時に、地響き。ソファに座っていると、ビル自体が揺れているのがわかる。だいぶ近くに落ちたものらしい。
「……貴女、雷も駄目なのですか?」
顔をこわばらせたは、先ほどよりも身体を縮こまらせて小さくなっていた。軽く抱き寄せて、背中をぽんぽんと撫で、あやす。
「なんというか、地面が揺れるのが怖いんですよ!」
「なるほど」
彼女はおとなしく抱きすくめられ、バーナビーの胸元のシャツをきつく握りしめた。そうこうしているうちに二回目の閃光が走る。
「次は、このビルに落ちるかもしれませんね」
こっそりと耳元で囁くとの身体が揺れたのが分かった。ほんとうにからかいがいのある人だ。
「ちょっと、からかわないでください、よ!」
また近くに落ちた轟音。くつくつ、と喉の奥で笑いをかみ殺す。
「すみませんね、つい、貴女の反応が可愛いもので」
「それ、全然嬉しくないです!」
轟音に紛れて聞こえていないと思っていた言葉は、ちゃっかり聞き取っていたようで、きっ、と俺の方に向けた顔は顰められていた。意図せずとも至近距離にあるその少し潤んだ強気な目がまた、扇情的で、俺好みだ。はいはい、とあやすようにの背中を撫でながら、バーナビーは彼女の鼻筋にそっとキスをした。
2011.07.10
(鼻梁:愛玩)