「主、あるじ、君、昨日もそうやって寝坊したろう! 起きないか」
障子を突き抜ける朝の健全な陽光が閉じた瞼から眼球を刺激する。鳥の囀る声が近くに聞こえ、遠くにはもう誰かしらが起きて動いている気配。そしてそれよりももっともっと近くで、そう、その障子のすぐ向こうで、うちの初期刀様が何やら大声を出しているけれど、それを右から左へ受け流すべく、薄い布団を頭から被り直した。
「君ったら! もう朝餉の準備もできているよ」
「うーん……」
反応せずにいると、今度は障子の桟をこんこんと叩く音がする。否が応でも私を起こそうとする心意気が感じられはするけれど、そんなことですっきりと起きることができていれば、現世で仕事をしていた時だって、苦労はしなかった。
「今日という今日は絶対に起きてもらうからね!」
「むりだよお……」
いつもはこれを繰り返していれば彼も諦めて広間の方へ戻るのだけれど、どうも今日はほんとうにそのつもりがないらしい。半分くらい何を言っているのか聞き取れないのを、うんうん、と相槌だけ打ってみる。そうこうしているうちに段々と二度寝することもできなくなってきて、つい身体を起こしたと同時に、すぱん、と障子が開け放たれた。
「失敬、っ!!!」
開けたのは、もちろん、彼自身だ。今まで外から声を掛けはしても、障子を開けることはなかったのだけれど、彼も、それだけでは私が起きないことを十分に思い知ったのだろう。結界が機能しなかったということはおそらく先まで適当に受け答えした中に、障子を開ける許可を求める問答でもあったのだ。もう長く彼らと住んでいるし、私としては別にそこは構わないのだから、障子が開くのは道理だというのに、「おはよう、歌仙さん」とぼんやり言った私に、今度はあれだけ口うるさかった彼の言葉が返ってこないので不思議に思った。
「……?」
眠い目をこすりながら彼の方を振り向こうとすれば(障子があまりにも眩しいので、彼に背を向けて身体を起こしたのだった)、「な! 待ちたまえ!」とこちらが驚くほど大きな声が返ってくるので完全に目が冴えてしまう。するり、と布団が肌をすべった。視界に捉えた彼は石のように固まっていて、顔を動かしたので肩をなぞった自らの髪の感覚に、そこではじめてなるほど、と納得した。
「すみませんこんな格好、」
暑かったので、と続く前に思い出したかのようにぴしゃりと障子が音を立てた。
「ええ……」
「そんな、開けていいなどと、きみ、誰が……いや、すまない。早く着替えておいで」
いやに散文的な文章だったのは、彼の動揺だろう。薄いキャミソール一枚の上半身を申し訳なく思う。別に驚かせるつもりはなかったのだ。はあい、と気の抜けた返事をすると、よろよろとした足音で彼は去って行った。
「申し訳ないことしたな」
片側に寄っていた髪を手櫛で戻す。髪が当たって痒みを感じた背をさすりながら、布団から足を抜いた。
 それから今まで、妙に彼がよそよそしいのは言うまでもない。もしかして、主(女性)の肌を見てしまったからには責任を、などと考えているやも……? と心配になって一度はそのことについて話して見たものの、「きっと君の世ではああいう風に女性が肌を晒すのも普通なのだろう?」など、要領を得ない回答を得たのみ、どうやらひっかかりはそこではないようであった。
「そう言えば主、恋人ができたってほんとう?」
おやつの水まんじゅうに黒文字を差し込みながらぼんやりしていると、隣に座っている乱が唐突にはしゃいだ声を出す。
「……はい?」
先ほどまでそんな話なんてしていなかったはずなのに、あまりの方向転換に黒文字がすべる。
「おお、うちの刀の誰かか?」
私が不明瞭な返事をしたからか、麦茶を片手に団扇をやっていた薬研がこちらを面白そうに伺った。どこからそんな話が出てきたのかまったくわからないけれど、なぜか恋人の存在があることが前提で話が進んでいる。
「え、いや、」
「隠さなくてもいいじゃないですか」
にこにこ、と割って入ったのは暑さのためか髪を高く結った鯰尾だ。とんとん、と自らのその晒された首筋を指差すけれど、それが何を示しているのかまったく見当もつかない。
「なんや主はん、いい人おりはったんか。この前まで隣で寝てくれてたんのに」
「いやその言い方、語弊ありますね……」
縁側で寝ている、かと思えば話を聞いていたらしい明石さんがさも意味ありげに言ったことを皮切りに、お昼休憩の大広間は大騒ぎとなる。ちなみに明石さんの言う“隣で寝てくれた”は、むしろ私の方が驚いたやつでしかない。先日、ついうたた寝をして起きたら隣に明石さんが寝ていて、好意の掛け布団が一枚かかっていた、あれのことだろう。そこは彼のお昼寝スポットであったらしく、先客を気にすることもなく彼も昼寝したために起こったことだ。さすがにそんなこと、その一度きりしかなかったが。
「主もついに人妻!?」
「なりません」
きらりと目の光った包丁くんを制す。
「つい激しくして謝ってしまったが、あれじゃあ物足りなかったのか」
「筋トレの話ですね! いつもおつきあいいただいて感謝します」
彼は極になって、何が吹っ切れたんだろう。山姥切くんのきらっきらで儚げな表情を言葉で打ち崩す。
「あの時やはり痕をつけておくべきだったかな」
「どの……あ、先日の手入れですね。やめてください痛いので」
大般若さんが言ったのは、手入れで私が手を切りそうになったことだろう。
「なんだきみ、あの言葉は偽りだったのか」
「なんの話ですか、どの言葉のことですか」
もはや鶴丸さんに至っては何について言っているのかすらわからない。口を挟んで来る面々は全員目が狐のようであるので、この状況をわかっていて面白がっているのが明白であった。彼らの言うことが全部そういうこと・・・・・・として本当なら、私はこの本丸の、容姿の倫理的に良さそうなひとほとんどとそう・・なっていることになってしまう。そう、恋人なんていないのだ。ここに来てこのかた。それなのに、恋人なんていない、と宣言しようとすれば、必ず誰かが水を向ける。皆して青江さんのような物言いをするので、どこに誤解を生んでいるのか知らないが、そろそろ収集がつかない。そう言えば肝心の当人は口を挟まないな、とふいにそちらに目を向ければ、文字通り彼はにっかりと笑いながら、すい、と縁側に顔を向けた。それに釣られた先にいたのは盆を持った歌仙さんで、目があった瞬間に踵を返される。なんだろう、と思う間に大広間がてんやわんやになっていくので、「もう! 解散! 休憩終わり!」と強引に終止符を打てば、がやがやと笑いながら皆持ち場へと戻って行った。

 広間で晩酌を少しして私室に戻ると、滞留した昼間の熱気で部屋が蒸していた。先まで着込んでいた夜着を脱いで、軽装になる。私室は本丸から離れているとはいえ、さすがにこの格好で障子を全開にするわけにもいかず、細く障子を開ける。寝室との間の襖を開け、反対側の障子も同じように開ければ少しは空気が流れて涼しい。団扇をはたはたとやりながら髪をほどき、櫛で整える。覗き込んだ鏡の先で、胸元に赤い痕が見えて、これがもし誰かに気づかれれば、昼間のあれがもっと馬鹿騒ぎになるかもな、などと思い出してひとりで笑みを漏らした。もちろん、それは単なる虫刺されだし、そんなベタな勘違いなどそうそう起きないだろうけれど。
 さて寝ようか、でも明日は休日だし夜更かしでもしようかな、とぐっと伸びをした矢先、「主」と昼間は聞かなかった声がした。こんな夜更けに誰かが訪ねてきたことなど今まで一度もないけれど、先日の一件以来どこかぎくしゃくしているので、つい、返事をする。
「歌仙さん?」
「君、今ちょといいかい」
「はい」
障子の影で彼が律儀にその隙を避けているのがわかり、はっとして脱いだ夜着を手にとりながら返事をする。途端に、すぱん、と大きな音を立てて開けられた障子に驚いた。夜着を肩にかける間も無く、彼は黙って室内に滑り込む。後ろ手に閉められるそれがあまりに静かで、かたりと小さな音で完全に閉てられたそこに彼の手で再び結界が張られたことがすぐにわかった。少し俯いた彼の表情は見えず、ただ無言でこちらに迫る。
「あ、あの、何か」
「いくら信用していても、こんな夜更けに男に返事をしちゃいけないよ」
帯なんて、手に取る暇があるわけがない。かろうじて夜着を羽織って前をかき合わせるけれど、様子のおかしい歌仙さんに距離を取ろうと後ずさる動きをその腕で止められる。ぐい、と手を引かれれば合わせがほどけて、肌が露わになった。
「やめ……何をするんです」
何かを強いる、ようなひとではないはずだ、という信頼が、ただ私の声を震わせるだけにとどまった。しかしじっとりと私を見下ろす瞳は不穏で、居心地が悪い。しばらくまじまじと何かを探るようにこちらを見ていたけれど、その目が何かを認めると、彼がふう、とひとつ息をついた。
「後ろを向いて」
「なぜ」
「いいから」
続けてそんなこと言い、乱暴にされる気配はないとは言え、声色が低いままであったので、冷や汗が滲む。意図が見えない以上危機感も何もわからなくなってきて、ただ、言われるがままに彼に背を向けた。彼の腕が私の両腕を胸の前でひとまとめに拘束する。
「離し、っ」
つ、と唐突に指先が耳殻をなぞったので息が詰まる。首筋まで指をおろしながら私の髪をまとめて片側に寄せた。その手で、夜着が落とされる。私の腕で引っかかったそれは肩だけを晒す格好となった。とん、と首筋の一点を指先が触れる。
「昼間騒いでいたのはこれのためだね」
「なに」
「そしてあの朝僕が見たのはこれか」
その指先が肩甲骨あたりへとおりて、そこでようやく発言の意図するところはわかる。
「もしかして、赤くなってる……?」
「虫刺されか何かじゃないか、こっちはもう痕があるだけだけれど」
なんだそうか、と思う反面、それにしてもこの状況の異様さに緊張感が抜けない。夜着を戻そうにも一向に腕は離してもらえなくて、
「あの、もういいでしょうか?」
と後ろを振り返って、そして後悔した。彼の表情が見えたのだ。穏やかに笑っている、けれど確実に、その瞳は笑っていなかった。
「君には危機感がなさすぎる、今の状況がわかっているのかい」
彼の顔が肩に埋まる。首筋に吐息が当たっているのに気を取られていれば、先まで痕を撫でていた手が腹に回った。そこではっとして藻搔いても、彼の腕はぴくりともしない。
「何、なにを……? 歌仙さん……?」
それは愚問だと自らわからないほど純粋ではなかった。その気配が、色を孕んだものであると、わからないには知りすぎている。
「気づいてしまったんだ、僕は」
吐息が、熱を帯びる。ぬるりとした感触に、勝手に肩が震えた。同時に脇腹がその大きな手で撫でられて、少しでもその感覚を逃そうと背が反る。腕の解放を試みたけれど、やはりうまくはいかない。
「だめです、」
「君の霊力は甘美だ」
「何を言って」
「昼間のあれが、軽い冗談だと、君は思うんだろうけれど」
首筋で音がした。瞬時に身体をこわばらせれば、くつくつと背後で笑う声。いよいよ、彼が本気なのだと悟ってしまう。
「そんなに好い反応をしちゃだめじゃないか」
「な……! そんなつもりじゃ……!」
「君になにかあってからでは遅いとわかったんだ」
抵抗を激しくすれば、拘束が強くなった。やめて、離して、と言ったところで聞く耳などもないらしい。全身でばたばたと暴れるけれど、結局自由になるのは顔くらいで、いやいやと首を振れば腹に回っていた手が顔を固定した。
「でも、君も悪い。ここは男所帯だし、君みたいな魅力的な女性がただ一人いて、何も起こらないと思い込んでいるのはいけない」
無理やり合わされた透き通った瞳が細められる。声色は柔和なのに、表情が追いついていないこの恐ろしさ。
「だから先に、怖さを知っておくべきなんだ」
その言葉を聞いた途端に、ようやく大声を出す決意がついた。それまでは、抵抗すれば彼はやめてくれるのだと、どこかで思っていた。初めから私とともにいてくれて、厳しくて、優しい彼に甘えていたのは私だった。それに時たま怒りはしても、私を導いてくれるのが彼だったというのに。
「……、っ!!!」
大きく呼吸をした時点で、きっと私のやらんとすることがわかったに違いない。叫ぶ音が声になる手前に、口付けられる。
「んん!!! やめっ! はなし、っ!」
なまじ発声する手前だったものだから、舌が滑り込んでくるのは容易だった。ぬるり、と滑らされる舌が私のものを捕える。呼吸のために唇が離れるたび助けを求めようとするものの許してはもらえず、いつのまにか後頭部に手が回っていて、しまいには顔を離すことさえできなくなってしまった。じゅ、と音を立てて唾液が吸われるけれど、それでも口の端から流れ落ちて首筋に下る。舌の裏をなぞられると、身体にぞわりと快感が走る。ちゅ、ぢゅ、と舌を吸われ、次第に呼吸が奪われてくらくらとした。しばらくそのまま蹂躙されたのち、それまでとは違った軽く可愛らしい音で唇が離れる。明るい部屋で舌を繋ぐ銀糸を見てしまった時にはもう抵抗する力も削がれていた。顎から唇の端を親指で拭われる。
「君は、はしたない子だね」
と笑われてかっと顔に血が上った。動かない頭で反論するよりも早く、再び首筋を舌が這う。
「んっ、ん」
助けを求める手段すら奪われた以上、もう目を伏せて耐えるしかない。生ぬるいそれが耳の後ろから下へ這って、歯を突き立てられる。うなじへ、肩へ、肩甲骨へ。軽く吸い付かれて、舐められて。ばさり、と何かが落ちた音を耳にしながら、もう感覚はその愛撫のみにしか反応できない。後ろから抱かれたまま縋るものもなく、自らに残された衣服を胸元でぎゅうぎゅうと握りしめる。漏れ出る声を止めきることもできずに指を噛めば、その僅かな動きで薄い布地一枚しか着ていなかった心もとない胸部を不意に自らかすめてしまい、「あ」と媚びた声が出た。肩すら震わせてしまったそれに、背後の男が気づかないはずがない。背中に口付けていた彼がふ、と笑う。「ふしだらな」ぎゅう、と彼の胸板に背を押し付けられて抱きこまれる。ふわ、とよく知った彼の衣香の匂いが、場面もわきまえずに鼻をくすぐった。胸の前で組んでいた手を解かれると、代わりに彼の手がそこを包む。大きな手が乳房全体をゆっくりと揉む。
「ふ、ぅ、く」
「自ら選んで薄着しているんだから、これだけで気持ちよくなってしまうなんて、だめだよ、主」
「そんな、だって、」
背から感じる彼の体温も乗じて、次第に身体が熱くなる。特に先端をかすめないように、全体的に触られていることがもどかしい。気を紛らわすように腰を引けば、そこに熱いものが当たって息を呑んだ。もう逃げる気など削がれていた、それでも、改めてその確信を得てしまうと抵抗しなければならないといった気が湧いてくる。
「か、せん、さん、だめ」
キャミソールの紐を落とす手をすんでのところで止める。
「こんなにしてしまえば、下着一枚なんてなんの意味もなさないけれど」
「ひっ!」
彼は特段それに抵抗しなかったけれど、代わりにあっさりと止まったその手がその中心を摘んだ。親指と人差し指でくにくにと潰される。
「や、は、やめて、だめ」
「そんな力じゃあ押し切られるままだよ、本気で抵抗しなければ」
彼の手を止める手に意味はあるのか、徐々に弱くなる手の力で掴んでも、結局指は好き勝手動いている。爪の先で弾かれれば、そこは弾力を持っていやらしく主張した。
「ぅあ、ひ、う、あ」
どうにか身体を離そうと思っても背はすでに彼の胸元についているし、いくら寄り掛かってもびくともしない。なんとか身を捩って逃げようと画策したものの、その隙にあっけなく胸を晒されてしまった。
「! あぁ」
手のひらが下から乳房を持ち上げて揺らす。
「こんなに腫らして、本当にいやなのかい?」
私はその問いに答えられずに、ただ喘ぐしかなかった。気持ちいい、に、彼の言う通り身体が抵抗できなくなっている。先ほどから身体が、切なくて仕方がないのだ。彼の指が先端を弄ぶたび、腰が揺れる。けれど、合意なのかそうでないのかもわからない、相手の心理すらあまりわからない手前、溺れてしまうのはよくないという最後の理性が心に引っかかっている。
「っ、だめ」
「どうして」
片手で胸から快感を与えながら、ゆっくりともう片方の手が肌を這う。腰でわだかまった下着を下へ落として、指が最後の下着へと触れた。ゆるゆると肌とその布の隙間を指がくすぐる。時折臍をなぞりながらひたすらにそこで許しを乞うような指先から身体を逃がせば、それこそ、当たってしまうのだ。先ほどよりも大きくなったようにすら感じられる熱に。決定的な快感が与えられているわけではない、けれど、それが、逃げたいほど無性にもどかしい。指が、布の隙間に入る。尻をやわく撫でて、隠毛に触れる。そのまま足の付け根をゆるくなぞった。今ならまだ、逃げられると思うのに。
「ああ、あ」
そこに、近づけば近づくほど、身体に力が入らなくなっていく。乳首を弄りながら身体を支える腕にすがりついて、身体が前屈しそうになるのを堪える。
「ねえ」
背後で、何一つ変わらない声音が囁く。
「君が、悪いんだよ?」
その快楽の核心を、一瞬指が触れた。大袈裟に身体が跳ねる。
「こんな覚悟もなしに、ああやって誘うような真似をして」
「そんな、こと、っ、して、あ、な、い」
「夜這いに来たとわかってもなお僕を許すから」
指が下着にかかる。下に、少し下げられる。
「だって、歌仙さんが、そんなこと、しな、っ」
「嬉しい言葉だけれど、現にしているのに、ねえ、主」
「や! っやあ」
ぐち、と音がした。温かな指が、そこに触れて、離れる。はは、と彼が笑う。
「僕じゃなくてもこうなっていたんだと思うと妬けるよ」
「〜〜〜っぁ!」
私のもので濡れた指がそこを強く一度だけ擦った。気をやることはなかったもの、下腹が震えて声も出ない。半端に脱がされていた下着を全て下されて、「脱げるよね?」などと問われれば、その下にわだかまっているもの全てから足を抜くしか私には残されていなかった。よたよた、と二、三歩を進めても、縋ろうと考えた襖にも遠い。その先で、電気のつけていない寝室を目の当たりにした時、私はまったく灯のもとで裸体を曝け出しているのだと急に理解された。くちゃ、と再び音がして、意識を身体に引き戻される。その指先は、今度は惑うことなく私の中を探ろうとした。
「は、あ、う」
指先が浅く、つぷつぷと出し入れされる。全く的確な快感ではないのに、もう声が抑えられなかった。逃すまいと身体を支える腕にいつのまにか縋りついている。
「やだ、や、」
時折陰核を撫で付けながら、指がだんだんと深くなっていく。けれど外でも、中でも、決して決定的な刺激をもらえなくて、勝手に溢れる言葉が何を意味しているのかなんて明白だった。
「も、やだ、ゃ、あっ、ああ」
そのうち軽かった声がだんだんと重くなってきて、がくがくと腰が震えだす。けれど一向に奥まで突き入れてもらえることも、外を捏ね回されることもなく、いつのまにか目尻に涙が溜まっているのをその冷たさで感じた。
「やだやだ、歌仙さん、ゃ、あ、ぁもう、も、」
「ようやく抵抗する気が起きたかい」
「は、」
なんの前触れもなくそんなことを言うと、す、とそれは未練なく私の肌を離れた。どろどろにしてしまった指先が、私の目の前に現れる。その粘液に、その綺麗な指が私をぐちゃぐちゃにしたのだと見せつけられて、勝手に膣が締まる。
「ぅ、あ、はっ、は、ぅう、なん、で」
「君が無防備にいるからこういう目に遭うんだ、わかるね?」
耳元に低く吹き込まれた声が身体を震わせた。耳元に当たるその吐息にすら、下腹が反応している。
「ぅ、やだあ」
高められた身体が熱くて、熱くて、どうしようもないのに、拘束の力すら緩んでいく。
「君がわかってくれれば僕はそれでいいんだけれど」
そんなこと、本心では思ってもいないのだろう、そのはずだと頭のうちで考える。ふるふると頭を振れば、心底意外そうにおや、と彼が呟いた。
「主はそんなにわかりの悪いほうでもないだろうに」
「わからな、い、わからないです」
やっと拘束が緩んだというのに、その腕に囚われたいという欲望の方が既に優っていた。腰を寄せて彼の身体に擦り付ける。案の定、その熱はまだ引いていなかった。
「っ、君はまた、そんなことをして」
「わかんな、っ、から、も、っと、おしえて、」
力の緩んだ腕を胸元に抱きしめる。思い切って振り向けば、皺の寄った眉間に、その歪められた瞳はぐらぐらと煮えたつようだった。
「はしたない」
「っ! ごめ、なさい」
ぺしっ、と外腿をひとつ打たれる。そこまで強い力でもなかったのにじんじんと肌を蝕んだ痛みが、痛みで止まることなく熱く疼いた。その手がそのまま下腹に戻る。臍の下を押さえつけられて、間接的な快楽に腰を引いた。
「君は反省が足りないようだね」
「ぁ、は、ぅ」
「ほら、返事は?」
「は、ぁ゛、い、ごめんなさ、っ」
今度は内腿を打たれる。逸らすことを許されない瞳をぼんやりと眺めながらまばたきをすれば、目尻からゆっくりと涙が流れ落ちた。指先が再び泥濘に落ちて、それらしい音が先ほどよりも大きくする。やがてわざとたてているのではと思うほど淫猥な音が耳に届いた。ぐっと指を中に突き入れられると、それだけで上り詰めそうになる。
「い! っあ、ぅ゛、あ」
先ほどとは違い確実に私を落としにかかる指先をぎゅうぎゅうと締め付ける。それが何本入っているのだか、そんなことはもうわからなくて、ただ、男の人の指は自らのよりも気持ちがいいと久しぶりに思う。
「ひ、い、ぅ、きもちい」
ぐ、とそこを押さえ込まれるとすぐに腰が跳ねた。抱き込んでいた彼の腕が逃げて、縋るところを失う。そうしているうちにその指先は放って置かれていた陰核へと伸びた。
「や! やだ、それ、ゃ、ああ」
「気持ち良いばかりじゃ反省しないだろう」
離された腕に、崩れ落ちないように脚に力を込めると、それが仇となって快感が引き寄せられる。愛液が太ももを伝うのを感じて、そしてそれを指先が掬って陰核へ撫で付けられる。もうどちらが気持ち良いだとか、どちらで気をやりそうだとか、なにもわからない。
「あぁあああ、やだ、ああっ、ゃ、は、うあ」
がくがくと腰が動いて止められない。背を汗が伝うのが感じられた。踏みしめたつま先から快感が伝って来て、腰から抜ける。
「っっぁああ!」
止められはしないのに掴んでいた彼の腕を握り込んで、ぎゅうぎゅうと指を締め付ける。絶頂した、ということが、彼にも確実にわかったはずだ、それなのに。
「あ、っ、っ!!! やめ、もうゃ、あだめ」
その指は止まることをしなかった。変わらずに同じ間隔で蜜壺をかき回し、陰核を刺激する。きゅんきゅんと止まらない膣内の動きが、その指から何かを搾り取ろうとしている。
「ほらもう少し我慢しないと」
なんで、などと、言葉にもならなかった。絶叫に近い嬌声が喉を裂いていく。
「やだやだっ、あああ、ぅ、っ、もうむり、いっ、た、の゛、しんじゃ、う、から! だめ!」
「こんなことで死にはしないよ」
「あぁあ゛、あっ、やだ、っ、なんか、なんかへんなの、っうぐ」
過ぎた快楽はまるで拷問だと初めて知る。解放してくれる道筋すら見えず、ただただ与え続けられて、崩れ落ちそうになる身体すら許されずに弄られ続ければ、軽い絶頂を幾度も繰り返して、その先に何かがあることを直感した。
「おねが、ゃ゛め、ゆるして、こんな、こんっ、っ゛」
先まで媚を売るような声だったものが、声帯を押し潰してなお漏れるような声へと変化する。きっとこの先を私が知るまで許してはもらえないのだという絶望が背筋を駆けた。──なにかが、クる。昔々に感じた、こんな行為に慣れる前に感じていた排尿感のような、けれどそれとは確実に違う“なにか”が。
「やだ!!! や、ぁ゛! もゆるし、て、ごめ゛、なさ゛い、っ!!! ごめっ、さ、あ、ああ!!!」
彼には許してもらえなかった。止められない動きに、がくがくと痙攣しながら今まで知らずにいた恍惚を経験する。ぴちゃ、ぶちゃ、とあまりにはしたない音が聞こえて、熱い液体が腿を下る。ついで畳を汚す音がした。
「ぅ、あ、ああ」
身体の震えが止まらず、足腰がもはや役に立たない。ようやく解放された下半身が膝を折りそうになる手前に、彼が後ろから私を抱きかかえた。体力の限界がすぐそこまできているのを感じてされるがままになっていると、目の前のものを摑まされて再び立たされる。ぐちゃり、とまたしても水音がするのを遠くで聞く。ひんやりとするそれに身体を押し付けられて気持ちがいいと思ったのも束の間、太腿を割り入ってこようとする熱に、つい声をあげた。
「! ちょっと、まって、くださ、ぁ、まだむり」
「往生際の悪い」
ずっとか細くなっていた懇願する弱音に、彼は酷く冷酷だった。すぐに挿れはしないものの、ぐちゃりぐちゃりと音を立てながら太腿で挟んで抜き差しされる。ぬめりが陰核を刺激して、そうされてしまえば簡単に身体に熱が戻って来た。「あ゛あ」と可愛げすらない声とともに、迎え入れる準備を一方的にされてしまう。
「ほら、腰を突き出して、足を開いてご覧」
ぱしり、と今度は尻が打たれる。言葉のみは優しげであるのに、容赦のない手のひらは、もうそれだけで身体が耐えきれなくなって、私は力の入らない身体を叱咤するしかない。
「うぐ、あぁあ」
「くっ、少し力を抜いてくれないと……!」
それは、当然に指よりも質量がある。苦しくてやり過ごそうと思うのに、出来上がった身体はそうはいかなかった。
「あつい、ぅ゛、かせんさん、ごめ、なさ」
は、と背後で短く吐息が漏れた。と同時に肩を掴まれて一気に押し入られると逃げ場もなければ声も出ない。ごつり、とそれが奥に突き当たった感覚がして身体が逃げるのに、許されなかった。ぎりぎり、と指に力が入って爪が白む。
「もうだめ、も、だめっ、」
早くも絶頂の予感が身体を燻る。言葉では聞き入れられないから頭を振ったのに、肩に髪が滑るだけで何にもならなかった。ばつばつ、とひどく重たい音を立てて律動が始まる。声の出ない私を叱咤するように、羽交い締めのように後ろから抱かれながら、その指が私の唇を割って入った。
「う゛ぁ、ああ、っ、が、は、っ」
舌を摘まれて引かれると、驚くことにまだ声が出た。その指を伝ってだらだらと唾液が流れて、彼の腕を汚していく。
「は、苦しい?」
指先が舌の側面を擦って愛撫しながら、その動きと同じように私の中も穿たれる。ごつりごつりと奥を突かれるたびに快楽をずらそうともがくのに、彼が押さえつけるのでただひたすらに与え続けられる。気持ちよくて、気持ちよくて、苦しい。
「くるじ、いっ、あ゛、かへ、さ、っ」
「うん、君が悪いんだよ」
僕もかなりね、と続いたその言葉は満足げで、平常に聞いている彼の声の色を帯びていた。困ったように笑う、その表情が一瞬脳裏に浮かぶ。
「ふ、ごぇんなさい、あ、んむ」
ちゅ、と未だ口元に触れられていたその指先に唇を寄せたのは、無意識だ。これは狼藉であるのに、なぜか彼を愛おしく感じて、貪欲に気持ち良さを与えたいと思った。ちゅ、ぢゅっ、と夢中でその指に唇を寄せたり、食んだり舐めたりしていると、不意に身体が引き上げられて、上半身を彼の身体に預けられた。
「ほら、前を見てご覧」
その言葉に意識を彼の指先から目の前へ向けると、私が縋っていたのは全身鏡であったらしく、指先を咥えた唇も、ぐっぽりと咥えて思うまま出し入れされているそこも、全てが明るみに晒された。
「んんっ」
驚いて背けようとした顔を、頰を掴んで戻される。「よく見て」と囁かれると私に拒否権などなかった。律動がやんだので、完全に意識をそちらに向けさせられる。そうして気づいたことには、彼は夜着の前をくつろげただけであって、帯すら解いていなかったということだった。
「君はずっとこんないやらしい顔をしていたんだよ」
彼は教育者のような顔で、私を見下ろしている。私が濡らした指が身体を這って、乳房をくすぐり乳首を摘んで、臍へ下って腫れた突起を再びやわく撫でた。入っているそこを、二本の指が広げて強調する。その全てが、そしてそれらの感覚に歪む自らの顔まで、全て目につく。
「や、やだ」
「君は僕に抵抗していなきゃあいけないからね。これはおいたが過ぎる主への仕置なんだから」
彼の声の調子はずっと変わらないから、きっとこの表情で、ずっと私を指導していたのだろう。ぺしぺし、と揃った指先が、見ている前で内腿を二度叩く。そのまま肌をなぞって外腿にまわり、ゆっくりと片足が持ち上げられる。とろり、と繋がったままのそこから粘液が溢れたのを、きっと彼も目にしたに違いない。その様に、きゅう、と締め付けてしまったのがわかって顔を上げると、私の歪んで濡れた目が、鏡越しに鋭い瞳に射抜かれる。
「ひぅ」
「……好き者だね、僕も、君も」
は、と、彼は笑った。どちゅ、とひとつ突き上げられる。
「っうああ゛」
「こうして、他の誰かが君を犯さないとも限らないのだから」
「ぅ、く」
ひくついた膣内を嘲笑うように、抜けそうになるくらいまでゆっくりと引き抜かれる。それを私の中は必死に追い縋っているのが、鏡に映っていた。私はその次の快楽に備えて、私を支える彼の腕を掴む。
「行動を省みることだ、いいね?」
耳元で囁かれる言葉は呪いのように、私の中にすんなりと染み入ってきた。
「は、い、ごめんなさい」
それはとびきり甘えた声だった、と、自分でも感じたほどに欲を隠せない女の声だ。
「さすがは我が主」
というつぶやきに振り返ればやさしく唇が落とされる。ちゅっ、ちゅ、とそれに甘えていると、やさしくなどない律動が再開された。
「ああっ、かせ、さ、かせんん゛」
奥の奥を容赦なく突かれる。内臓が持ち上げられるような不快感を感じたのは初めだけで、あとはただ地獄のような快楽に飲み込まれた。
「あああっ、は、ぐ、あぁ」
縋り付く身体も発汗していて、熱を帯びている。張り付いた髪の毛がうざったいと思う暇は一瞬で奪い去られ、すぐに底のない快楽に襲われた。
「う、ぁ、ああやだ、や、もう、いっ、ぅあ、く、っっっぁああ、ね、いった、も、いったの、あ゛あぁああ」
身体が震えて過ぎる快楽に解放されたくて暴れる。けれど始まり以上に強い拘束が決して離してはくれなかった。
「あと、っ、少し、いい子に、していろ」
「ひぃっ、ぐう、ああああ、らめ、なのに、ぁめ、うっく、う゛」
目の前がちかちかとしだす。鏡に飛沫がかかったのを薄目で見た。とどめと言わんばかりに陰核を捏ねられ、彼のものの形を覚えさせられそうだと思った矢先、骨が軋むほど抱き寄せられる。苦しそうな呻き声に、精液の熱さ。
「っ! ゃあ、あ」
その勢いに身体を強張らせると、与えられ続けられていた快楽がようやく止められた。
「ぅう、あ、は、う、っ!!!」
落ち着こうと思う呼吸すらまともにすることができずに声が乗る。足を下されても痙攣が止まず、ずるり、と彼がそれを抜く動きにすら呼吸が止まった。ぼた、ぼた、と中に出されたものが逆流するのにも身体が震える。すとん、と腰が砕けるのを抱きとめられながら、「歌仙さん」と掠れた声で呼べば、初めて正面から抱き竦められた。その柔らかな髪に手を差し込んで、甘えるように抱かれに行く。肌に触る夜着の布地を寂しくは思えども、そのよく知った匂いを再び感じて、

 僕の頭に回っていた腕が力なく落ちて、彼女の意識が抜けたことを確認する。悋気に駈られたとはいえ無理強いのはずであったのに、勘違いをしてしまいそうな情交であったと思い返せば、鏡に映る彼女の肩甲骨付近に、くっきりと自分の紋が浮かんで、そして肌に吸われたのを見た。この重すぎる自分の想いを彼女が受け容れてしまった、とそれは物語っている。その彼女の物わかりの良さに、虫刺されよりも厄介なものを、とふと思ったけれど、虫除けなのだから問題ないと身勝手に思い直した。

2019.07.05