*現代設定ですご注意
月曜日、朝。
がちゃりと、隣の部屋の錠と扉が開いた音がする。男女一対の話し声と足音、一度遠ざかって、一人分の戻ってくる足音。それがまた部屋へと戻り、錠を下ろさない扉の音。それを確認してオレは、一時間の間を置いて、その隣の部屋へと向かう。
「昨晩はお楽しみだったみたいだねー」
我が物顔で隣の住人の部屋へと入り、今度はオレが内側から鍵をかける。そこの住人はと言うと、パソコンの画面に向かって何やら作業をしていた。
「あれがお楽しみでたまるか」
は片手に珈琲を持ちながらちらりとオレの方を見た。オレはへらりと笑いながら、毎週恒例の定型句を使う。の方は気分によって返事は毎度異なるが、いつもだいたい同じようなことを返す。さっきこの部屋から出て行ったもう一人の足音は彼女の正真正銘の恋人のものだ。そいつは決まって日曜日にこの部屋を訪れる、几帳面な男である。いつ頃から付き合っているのだか、そんなことは知らないけれど、几帳面も極まるのか、その彼が今まで彼女に一切手を触れていないらしい、ということだけは知っている。初めて彼女を暴いた時に、そうなのだと彼女自身がつまらなそうな顔をしていた。……つまり、その二人の間には、お楽しみ、などというものはハナから存在しない。
の背後から、椅子に座っている彼女の肩に手を置く。彼女は持っていた珈琲をデスクにおいて、オレの手に自分の手を重ねたものの、キーボードを打っている手は片手であれど止まらない。
「仕事?」
「しごと」
「おつかれさま」
「それはどうも」
それだけの応対をすませると、彼女の動向を無視するようにの首筋へと唇を落とした。「んー」と、気のない返事が返ってくる。まるで、そういうことには関心のないように。唇を首筋から耳元にまですべらせて、その間に彼女の両手を自らの手で絡めとった。「もっとたのしいこと、しようよ」そう耳打ちすると、彼女はオレの手の甲にひとつだけキスをする。それが、暗黙のルール、始まりの合図。そのひとつの口づけが返って来ない日は、ただ、寄り添って眠るだけ。けれどそういう日は、大抵彼女のほうが先に、オレの分の珈琲を用意して待っているので大体は見当がつく。
彼女と知り合ったのはほんの些細なことが切欠であったし、そしてこういう関係になっていることも、ほんの些末なことだと思う。彼女にはえらく淡白な恋人がいて、オレにもえらく潔癖な恋人がいて、ただそれだけだ。ではなぜそんな恋人といつまでも付き合っているのかという問いに対して、オレもも、惰性、とただ一言で答えるあたり、くだらない似た者同士なのである。
彼女の手を引いてベッドへと誘う。身を寄せて、頭を撫で、抱きしめる。ほんとうはそれだけでもいいのではないかと思うくらい、うれしそうに、はずかしそうに、は眉尻を下げて笑う。普段は口数が少なく、しゃっきりしているように見える彼女は、実際はとても甘えたがりだと言うことを、こういう関係になって初めて気づかされた。きっと彼女の恋人は、自身の恋人がこんな風に甘えることを、知らない。その優越感はいつも、ぞくぞくとオレの背筋を駆け上っていく。
女の子を扱うときは、壊れ物のように、丁寧に。やさしい口づけと、やわらかい愛撫と、なるべくの言語を排除して。はいつも、初めの方はささやかな恥じらいを持って身悶える。今まで自分が抱いてきた女の子たちのように。しかしその彼女たちはいつだって、最後まで、オレのやさしさの前に本性を現すことはなかった。それはただ、このような色事に不慣れであるだけか、もしくは、快楽を見いだせていなかったのか、オレの不手際なのか。今となってはすべてもうわからないが、この目の前の彼女だけは、その軒並みの女の子たちとは違っていた。身にまとっているものを一枚ずつゆっくりと脱がせていく。初めこそ、恥じらった仕草を見せるものの、次第に余裕を失っていき、取り繕われた皮はすべてはがれていく。彼女は身もふたもなく喘ぎ、そうしてオレはそれに呼応して乱暴になる。すべてを取り払ってしまったころには、もう元の、潔癖そうな印象などどこにもない。すべての皮を失った彼女は、甘えたがりで、素直で、快楽に従順で、それからそういった色事を、オレが今まで抱いてきた女の子の誰よりも、貪欲に好んでいる。今の恋人が彼女の身体に触れない理由はオレには一切わからないが、きっとそれ以前の男たちが、彼女の身体を花開かせたのは言うまでもない。そしてそれにオレが嫉妬するようなこともまた、ない。
「こういうこと、ほんとうに好きなんだね」
と、意地悪く見下ろす言葉にすら、彼女は身体を震わせる。オレの持ち合わせる加虐性に、正直に反応する彼女の被虐性も、とても愛おしい。今の自らの恋人は、このような行為を大層嫌っているようで、おそらく今のオレを見たら汚らわしいと蔑むのであろう。もういくらか彼女と時間を共にしているが、彼女の潔癖は常軌を逸するものがあり、それには辟易させられている部分も多々ある。しかしながら例えば過去に”なにか”があったのかもしれないし、それを強要することはオレにはできない。身体を重ねることだけが愛であるとは限らないけれども、それがないということは多少なりともお互いの間の壁となりうることは、きっとオレと、の恋人にはわかりえないことであった。
いやいや、と首をふって髪を乱しながら、本能のままにオレにしがみついてくる女の、なんとうつくしいことだろう。発熱した身体と、熱い息づかいの、なんと素晴らしいことだろう。ぐずぐずになって、抱き合って、しまいには、彼女から「もっと」などという狂おしい声のかかる、この野生をむき出しにしたような瞬間が、たまらなく愛おしい。そしてそれらが、すべて恋人という名称ではない相手との行為であるということが、切ないようで、しかし、とてつもなく情欲をそそる。
「彼には、見せられない顔してるね」
「っ、あなただって、」
との間には一切の禁句もなく、それを気にする様子も彼女にはない。
「彼氏、戻ってきたらどうしようか」
それどころか、意地悪く耳元で囁くと、一瞬すっと息をのむ音がして、彼女の身体は快楽に反応している。彼女の恋人が、この部屋の鍵すら持っていないことを、お互いに知っているのに。
「わるい子」
かすかな笑みを言葉に乗せると、いよいよ彼女には余裕がなくなってくる。
「も、もう、」
「いく?」
矢継ぎ早に言葉を投げかけると背中にわずかな痛みを感じる。に出会ってから、人生で初めて、背中の爪痕が消えない日々を送っている。
「、いく、っ」
その爪の痛みがオレに火をつけて、彼女が果ててからいくらか身体を打ち付けた。彼女の、その自らが果てた直後に執拗に快楽を与え続けられているこのときが、最も動物的でいやらしい。そうしてオレも果てて、ぐたりとしている彼女に口付けた。この時に見下ろす彼女は肩で息をしていて、しっとりとした肌にいくらかの赤い華を際立たせていて、己の征服欲を視覚的に満たしてくれる。
「そんなにじっと見ないで、恥ずかしいなあ」
などと、つい数瞬前とは打って変わって恥じらいを取り戻すを見ているのもまた面白い。ごめんごめん、と笑いながら抱き寄せると、まるで猫のようにうれしそうに寄ってくる。それから会わなかった一週間のことを話したりしながら眠りについて、夕方になってからオレはその部屋を出る。部屋を出た途端にオレとはまたただの隣人になり、また月曜日になると、遠距離恋愛でもしている恋人たちであるかのように身体を貪りあう。
たまにがオレの部屋に尋ねてくることもあるけれども、それはオレの彼女がうちに泊まっていって、出て行った一時間後である。大体、それは木曜日のことで、そして彼女は夕方にオレの部屋から出て行く。勿論オレの恋人は、うちの合鍵を持っていない。そういう、ルールなのだ。
そして、彼女と週に一度の逢瀬をした日の夜、オレはほとんど毎週、自らの正真正銘の恋人の家に出かけていく。
2014.01.12
(ルダス / ゲーム感覚の遊びの愛)