私は加州清光が好きだ。しかし私は同時にわきまえてもいるので、彼が私と共にいてくれる将来を、そもそも望むことすらしていない。なぜなら彼は神様なのだ、私ごとき人間と、どうこうなるだなんて、そのようなことあっていいはずがないと、賢明な私はわかっている。それだから私はただ前向きに失恋していて、恋を忘れるには新しい恋だと言わぬばかりに、新しい出会いを求めて日々明け暮れている。

「ただいま〜」
がらりと勢いよく玄関を開ければ、まだ起きている面々が、私が靴を脱ぐ間に集まってくる。
「お、なんだ今日もハズレか?」
「うるさいよ兼さん」
おおこわ、などと兼さんが笑う。ここ最近の帰宅からの一連の流れは、面子も含めこれで定着してしまっている。
「今日も好みのひとはいなかったんですか?」
「ん〜〜〜だってみんな、私より可愛い子のところにまず目が行っちゃうからね。そういうの見てると」
にこにこと人のいい笑みを浮かべながらそんなことを言うのは堀川くんで、彼は私を暗殺とまではいかないだろうけれど、いつだって死角から刺すような真似をする。背の高いミュールを靴箱に片付けて出迎えてくれた二人を振り返れば、「燗、人肌にしてあるぜ」とまたいたずらな笑みがいつもの酒宴へと誘った。
 そのまま二人について彼らの根城に入れば、「さっむいはやく閉めて」とすぐに安定がこちらも見ずにこたつの虫と化していた。コートを脱ぎながら適当にそのこたつに潜り込むと猪口を渡されて並々と酒が注がれる。
「で? 今日もだめだったんだ」
次に真っ正面から刺してくるのはいつだって加州だ。私の心など知っていて言うのだから、質が悪いかと思えば案外気楽なものだ。
「しょうがないじゃない好みのひといなかったんだもの!」
「そりゃあ今隣にいるのを超えるのはなあ」
「それを言っちゃおしまいよ」
豪快に笑いながら長曽祢さんが猪口を煽る。これもいつものやりとりだ。当の本人、隣の加州は満更でもない顔をして私にみかんの籠を差し出してくる。私もなんということもなくそれを受け取って中のみかんを物色した。私の恋心は当人だけでなく皆に知れ渡っているのだ。否定もされずこうやって茶化してくれるのは、それはそれで居心地が悪いものでもない。
「明日も合コン? なんでしょ?」
話は大抵そこで適当に加州が切り上げて、そこから会話が雪崩れていく。
「そう! 明日のは超優秀な審神者がたくさん来るらしいし、もっと可愛くしていかなきゃ」
「大事なのは見た目じゃあねえと思うがなあ」
「兼さんからそんな言葉が出るなんて」
「主さんの見た目は可愛いのに、って言ってるんですよ。ね、兼さん」
ひらひらと振られる手は肯定か否定か。にこやかな堀川くんは放っておいて、とにかく明日はおめかしするの! と言い切れば、加州が頬杖をつきながら大きなあくびをした。
「で? 明日は次郎さんに頼むの? 乱? 燭台切? それとも……」
加州がつらつらとあげ続ける名前は私の合コン御用達スタイリスト陣だ。いつでも彼らに手を尽くしてもらって最上の可愛い私を演出してもらっているはずなのに、どうにもうまくいった試しがない。
「オレがやってやろうか」「兼さんに頼むとなんかすごいかっこいい女になっちゃうからだめ」「僕は遠征なので今回はパスで」「おれがやるか?」「長曽祢さんに頼むとなんというかエレガンスになってしまうので……」「えれ……? まあ僕は非番だけどやらないからね」「えっ。次は順番的に安定かなって思ってたのに………じゃあ加州?」
ほんの少し、皆が口を閉じたような気配がする。加州が、こういうことに積極的に関わってくることは今までなかった。
「俺?」「うん」
加州の眠そうな、なんでもない声が、ほんの少しの静寂を切り裂いたような気がした。
「なんだかんだ頼んだことなかったよね?」
「まあ、そうだけど。……何時から?」
「ちょっと遅めで宵の五ツ半」
「わかった。……最高に可愛くしてあげる。覚悟してよね」
「やったー」
「明日は非番だし、いい時に呼んで」
あくびを噛み殺しながら加州はそう言って立ち上がった。「おやすみ。主も早く寝ないと明日可愛くなれないよ」「うん、おやすみ」
 加州を見送って振り返れば、こたつに入っている面々が各々じっとりと生温い目をしている。
「主さん……そこまでいくとなかなかに鬼畜ですよ」
「ひとのことをとやかく言うもんでもねえが……」
「難儀だなあ」
「とりあえずあと一本開けるか?」
「えっ急になに……とりあえずいただきます?」
結局誰からも答えはもらえずに、一杯煽る間にその表情は徐々に消えた。そのうちいつもの反省会と相成って、いい心地で酔ったうちにお開きとなる。いつでも私室までの短い距離を誰かが送ってくれるのだけれど、今夜は安定が送ってくれるらしい。
「とにかく! 明日は最上に可愛くしてもらって恋人候補を勝ち取ってきます!」
「はいはい。今日はちゃんと化粧おとして寝てね」
意気込む私をいつもの呆れ顔で彼は部屋へと押し込んだ。部屋にたどり着いた瞬間、睡魔が身体を襲う。じゃあおやすみ、と安定に返せば、主、と読めない表情が私を呼び止める。
「痺れを切らす前に、悪いこと言わないから清光にしときなって」
「恋人できないからって焦って悪い人に捕まるようなことは、たぶんないから大丈夫だよ」
「……そっちじゃないんだけど」
「?」
「まあいいや。主ならそのうち恋人できるよ。おやすみ」
はっきりと考えるまでもなく、安定は部屋へと戻って行った。私は睡魔をかろうじて押しのけてまずは顔を洗いに洗面台へと向かう。

 仕事を終えて身体を清めて、私室に加州を呼んだのは、暮の六ツ頃だ。あまりに早いので、「気合入ってるじゃん」などと彼に笑われる始末で、実際そうなのだからなんとも誤魔化しが効かない。まずは加州と箪笥を覗きながらあれやこれやと物色し、何度か着て見ては加州に違うと一蹴され次の服を渡される。徐々に服が決まり靴が決まり鞄が決まり、髪型や小物が決まれば、自分で言うのもなんだけれど、鏡の中の私はいつにも増して可愛く見えた。当たり前に彼が私に化粧まで施していく。まっすぐにその赤い瞳が私の顔の造形を確かめていくのが恥ずかしい。手持ちの化粧品でここまで表情を明るくすることができるのだと初めて知ったほど、どこでその技を得たのか彼に施された化粧はいつもと全然違う私を演出している。顔の全体を点検しながら、彼は見慣れない紅を私の唇に差した。紅とは言っても明るくて華やかな、苺のような、紅色ではない色だ。
「これどうしたの」
ちょっとこれで抑えて、とちり紙を渡される隙にそう聞いてみる。そんな可愛い色の口紅は、私は持っていなかったはずだ。
「これ? ひとにあげようと思って」
「可愛い色だね」
誰かへの贈り物だったらしい、というところに少し胸がつきりとする。いつもはその恋が実らないことをさほど悲観していないけれど、ちょっとした不意打ちには耐性がない。
「ほら、姿見の前に立って」
「ん? うん」
化粧筆を片した加州が私の手を引く。気を取り直して鏡の前に立てば、いつよりも可愛いと思われる私がそこに立っていた。
「すごい……これは……勝算あるかも……」
「俺が見立てたんだから当然でしょ」
履きなれたスカートを翻しながらすこし角度を変えてみる。髪がゆるく結い上げられた様も少しだけ見えて、丁寧に、最上に、装われたのがわかった。
「ありがとう。前から加州に頼めばよかったかな」
「そーね」
加州は私の後ろで、鏡越しにまだなにやら点検している。鏡台に戻ったかと思うとこちらに戻ってきて、後ろからひとつネックレスをかけた。
「うん、完璧」
「やったー!」
時計を見れば約束の四半刻前で、加州が私にコートをかける。
「これでついに恋人が……!」
可愛い、という気持ちは心を浮足立たせる。時間が迫っているのもあってそわそわと鞄の中身を確認していれば、背後から加州が私に声をかけた。
「本当に恋人をつくって帰ってくるつもり?」
「そりゃあそのための会だからね?」
「ふうん」
鼻を鳴らした彼の声は少し不機嫌そうな色だ。顔をあげれば加州の腕がまた私のコートに伸びているところであった。
「まだ気になるところある?」
「ううん。とってもカワイイよ」
留められた釦をゆっくりと外すでもなく指がなぞる。腹あたりからなぞりだしたその指が鳩尾にまできて鎖骨を上がる。姿見の向こうでじっとりと私を見ている加州は、きっと服装の点検でもしているに違いないのに、ゆるく抱きしめられるような格好に勝手に心臓が踊る心地になってしまう。
「今夜行けばきっと主が男たちの注目の的だね」
棘のある言い方が不思議に思える。そうなるのがきっと正しいことであるはずなのに。
「ね、遅れちゃう」
加州の指先がネックレスのペンダントを肌に押し付けて、首筋までなぞったところでついに動きを止めた。その指先は妖艶だ。加州のもつ容姿も相俟って、よからぬ誤解を招いてしまう。
「その格好で行くつもりなんだ?」
「なに言って……もちろん行くよ? 可愛くしてもらったもん」
そっか、と呟いて加州は私から手を離す。ふう、とそこで静かに一息つけば、やっと生きた心地がする。加州が、何か、変だ。でもそれを問い詰めるのは今でなくてもいいだろう。帰ってきたら加州じゃなくても、いつものみんなに聞いてみればいいのだ。
「わすれもの」
へ、と間の抜けた声を出した。両肩に手を置かれたので振り向こうとすると、ぞわりと肌が粟立って、生温い吐息が首筋にあたる。少しの痛みに咄嗟に声を抑えたのは、手から滑り落ちたクラッチバッグの音でかき消されてしまった。鏡の中の加州の赤い瞳と目が合う。ぺろりとその舌がそこを舐めて離れた。
「な、なにするの!」
加州は憮然としたような顔で私を見下ろしている。彼の指先が同じようにまたなぞるので鏡を覗き込めば、わかりやすく赤い痕が首筋に残っていた。
「……っ! せっかく可愛くしてもらったのにこれじゃあ元も子もないじゃない」
首筋に赤い痕が残る女なんて、誰が口説こうと思うだろう。意図の読めない加州の行動にきッ、と目を向けてみるものの、加州はただ落ち着き払って私を眺めているだけだ。
「そんなに恋人がほしい?」
「だから欲しいって言って、っ!」
ちゅっ、と今度は可愛らしい音が鳴る。肩あたりに赤い花が咲いた。
「やめて、ちょっと!」
引き離そうと彼の胸を押す。呆気ないほどに大人しくそれに従われるものだから、もう何が何だかわからない。鏡台まで駆け出して、コンシーラーを探す。その赤を隠すように丁寧に滑らせた。
「信じられない! どうしたの、加州」
突然見せつけられた好意のようなものに胸が高鳴っているのか、それとも突然の行為に彼に怯えているのか。自らの心臓の音の把握すらできない混乱に手が震える。肝心の加州といえばゆっくりとした所作でクラッチを拾ってこちらに近づいてくる。
「信じられないのは主の方じゃん」
なんとなく隠れたふたつの痕を鏡の中で入念に調べる。これならまだ虫刺され程度で誤魔化せるかしら、いやいやそんな、こんな真冬に虫なんて。ことりと音を立てて、後ろから伸びた腕が鏡台にクラッチを置いた。そのまま、私の持つコンシーラーを奪う。
「そんなんじゃ隠せたうちに入らないよ」
「加州が、っ、つけたのに……!」
逃げ場を失った状況に鏡の中の加州を非難するけれど、彼はただ念入りにその痕をコンシーラーでなぞっている。わけもわらないままふと思い出して時計を見ればもう出ないと遅刻するような時間になっている。
「遅れちゃうからもういい……! 加州、なんか変だよ。とにかく今はいいから、帰ったら、」
クラッチを掴んでその檻を抜け出そうとしたものの、先ほどとは打って変わってそれはびくともしない。
「行かせるわけないじゃん。こんな可愛く着飾らせたのに」
「なに、なんで……」
檻のようだった腕は、背後から緩やかに私の身体に回される。肩に重みを感じて、彼の頭が乗せられたのだとわかる。
「俺だいぶん大人しく待ってたよ? 主の心がいつか誰かに自然に変わるなら、それでいいと思ってた」
唐突に、優しく、やわらかく、抱きしめられている。その力も、声色だっていつもの加州だ。吐き出される言葉のみが、常の彼ではない。心臓がまたしてもおかしな打ち方をし始める。
「まだ好きでいてくれるなら、無理に捻じ曲げることなんてないじゃん」
彼の好意が見えるような、拗ねたような物言いに、しかし私は、肯定してはいけないのだと咄嗟に思う。自らの心に示しがつかないし、神様相手に、簡単に言っていい言葉ではないのだ。──ちゃんとわかっている。
「好きって…………なんのこと」
私の声が空気を打った瞬間に、ぴたり、と背後の身体の動きが止まった。これで解放してもらえるだろうか。身勝手な言動は翻ってちくちくと自らの心臓を刺していくけれど、他に恋人ができてしまえばきっとそれで全て解決するのだ。
 彼の体温がゆるやかに離れていく。今ならまだ数分の遅刻で間に合うだろう、と携帯端末を取った手が、次には弾かれていた。
「痛っ……! なにするの」
ごとりと手から離れたそれは重い音とともに畳に落ちる。振り返れば今までに見たことないほどの冴え冴えしい、透き通った赤い瞳が私を射抜く。
「へえ。俺のこと嫌いになった?」
「……! き、嫌い……! 優しくない加州なんてきらい!」
それは本心ではない。でも言わなければならなかった。咄嗟に吐き出した言葉を押し戻すように、加州の手のひらが私の口を塞ぐ。それを外そうともがく腕ごと片腕で抑え込まれて、鏡の中で加州の犬歯が鋭く見えた。
「ひっ」
首筋に、それが突き立てられる。何度も、何度も。生温く舌が這っては吸われたり噛まれたりして、見る間に首筋に赤い痕が増えていく。抑え付けられる手のひらに呼吸が苦しい。くらくらとし始める脳内が、意図に反して、初めは痛かっただけだったそれらに違う感触を帯びさせていった。耳殻を舌がなぞりはじめた頃にはもう拘束も緩んでいたのに、抵抗する力がことごとく抜けてしまっている。
「っ、ふ、」
かぷり、と甘く噛まれるのについに吐息が漏れる。加州がそれに耳元で笑って、ああ、と一言漏らした。
「ごめんね。せっかく可愛くしたのに、口紅よれちゃった」
視界に入っていなかった目の前の鏡に、弾かれたように顔をあげる。確かに彼の言う通り、少しよれた口紅と、それにも増して紅潮したひどい表情の私が写っている。
「いいから。もう離して」「やだ」
目の前でごそごそとクラッチを彼が漁る。先ほどの口紅を取り出したかと思うと、そのよれた紅を勝手に差しなおしてしまった。柔らかな指が唇をなぞるその手際に、彼の意図を把握できかねてぼんやりと眺めていれば、その手が肩にかかって、いつのまにか釦が外されていたコートが、肩から落ちる。
「何して、」「わからない?」
顎を掬われて彼に顔を向けさせられる。落ち着いた声が鼓膜を打っているのに、私は彼の前に被食者にすぎないのだと頭の中に警鐘が鳴り響く。逃げなければならないと思うのに、私の奥底の部分ではこのまま彼の意に添いたいという感情が逃しきれない。加州は、私の思惑をほんとうはすべてわかりきっているのだろう。その端麗な顔が間近に迫る。逃げられないのだと悟って目を閉じたものの、一向に予期した感触はなく、恐る恐る目を開ければ、吐息の触れるほんのすぐそばで、弧を描いた濃い緋色の瞳と目があった。
「嫌いな男にそんな無抵抗でいいの」
「ひ、ひどい。私の気持ちを知ってるくせに」
「知ってるよ。でも、今は嫌いなんでしょ?」
私の引き攣れた声とは違って、彼のは穏やかな声だった。確かにそう言った手前、私にはなんとも返答ができない。にっこりと笑う顔は、先までの怒気のようなものを含んでおらず、変に憑き物が落ちたような、いつもの加州のいたずらを考えている時のものにいつのまにか変わっている。
「主が素直になるまで許さないから」
落ちる言葉のみが物騒だ。掬った顎を左右に振られる。触れられない唇がすぐそこにあって、彼の口元の黒子がやけに気を惹いた。彼の手のひらがゆっくりと身体をくだって、ニットの裾から入ろうとするのをやっと止める。
「ねえ、だめ。お願いだからいつもの加州に戻って」
「俺は俺だよ。主が気がつかないだけでずっとこうだった」
再び顔が近づく。今度こそ身構えればその唇は、私の口角にぎりぎり触れたのみである。そのまま頰に口付けて、また耳を食む。
「ん、はなして、ってば」
んー。と唸る声が耳元で聞こえる。腕で押せば少し身体が離れたので、残念だと思う心を押し留めつつ、解放してくれるものだと力を抜いたのが間違いだった。脇腹をなぞられて驚いて身体が跳ねる。
「たとえ主命だと言われても聞いてあげない」
その隙に、いとも簡単にニットを剥ぎ取られた。微塵も抵抗をする間もなくすぐに抱き寄せられて畳に押し倒される。叩きつけられる衝撃につぶった目を開ければ、転がった携帯端末が私の隣でちかちかとメッセージを表示している。──この端末が最後の逃げ道だ。私は、自分で彼を押しのけて逃げることができないということくらい、もうわかっていた。心から、彼を拒絶できない自分の逃げ道なんて、これか、もしくは通りがかる他人(奥の私室に通りかかるひとなんてほとんどいない)にしかない。咄嗟にそれに手を伸ばしたものの、すぐに彼が両手を絡め取る。
「きっといい人たくさんいたんだろうに……集合時間過ぎちゃったね」
何事もないように頭上で腕がひとまとめにされる。ちょっと抵抗しようともそれはびくともしない。加州はその端末の画面をタップしてメッセージを確認すると、すぐに電源を落としてしまった。畳を滑らせてそれは部屋の端に止まる。赤い瞳が再び私を楽しげに見下ろした。
「主、覚悟はできた?」
「やだ。今ならまだ戻れ」「往生際悪いなあ」
自分の心の在処と、思考の先が一致しない。拒むべきなのに、それが口先だけのものになっているのが自分でも分かってしまう。彼に退路を絶たれることを、望んでいる自分から目を逸らして逃げてしまいたい。
洋燈で明るい部屋はすべてをあからさまに私に見せた。ゆっくりと加州の片手が私の首筋から肌を撫でて、下着だけしか身につけていない私の胸を包む。身体を捩って、自らがほんの少しの抵抗をしてみるところまで、すべてが見えてしまう。そのあまりにみっともない様を見ていたくなくて顔を背けて目を閉じる。逃げ道はもう、瞼の裏にしかない。彼の気配が近づく。鼻の先に唇が触れて、それからはまた首筋の愛撫に戻る。軽やかな音を立ててはいるけれど、きっと先ほど以上の痕が肌に残されている。次第にやわらかくしだかれる胸が熱くなってきて、彼に気がつかれないように静かに吐息を漏らした。下着越しに、その先端をなぞられる。微かな刺激に身体が震えて、どうしてこんなことになっているのだろうとそればかりを考えた。薄いキャミソールがめくられて、肌が外気に晒される。少し冷えた肌を温めるように、加州の熱い吐息が腹へとおりる。ぱちり、と背中の留金が簡単に外された。
「これ、今夜は違う人が見てたかもしれないのにね」
「ひどい」「まあね」
最早私が抵抗できないのを、加州さえわかっている。なんのためらいもなく上半身が衣服から解放された。よく知った感触の、ところどころ硬い手のひらが、直に胸に触れる。熱かった。
「ぅ、」
どこともなく触られているだけなのに、その肌が先端を掠めれば勝手に声が期待をする。
「やっ」
目は閉じたままだったので、彼がどう動くのか、気配でしかわからない。前触れもなく乳首を摘まれると、抑えていたつもりだった声が漏れる。私はただ必死にその声を押し殺そうとして、いつのまにか解放されていた手で口元を覆った。
「……ん、っ、ふ……んん」
転がして摘んで、かと思えば甘噛みされて、ぬるい舌がちゅっとわざと音を立てる。ぞわぞわとのぼってくる官能に身を捩らせながら、ふ、ふ、と短い吐息が次第に熱くなる。
「や、だっ」
強めに噛まれてつい背が浮いた。ぢゅ、と下品な音がたてられる。
「声、出して」
必死に首を振る。「痛っ」もう一度同じように噛まれて同じように声を出させられる。そのあとにやわやわと舌で嬲られれば先よりもやわらかい快感が身体を襲いだす。
「やだ、っ、う、や」
「自分で膝をすり合わせておきながらよく言うよ」
加州の手のひらが、目を閉じたままの私に味わわせるようにゆっくりと太腿に這った。その熱を宥めるようにとんとんと外腿を触られれば、彼の言った通り無意識に身体を動かしていたことが思い知らされる。タイツの肌触りを確かめるように、手のひらが太腿をなぞる。加州がスカートに手をかけて、やはり私はその手を止めずにはいられない。
「だめ、これ以上は」
「まだそんなこと言う余裕あった?」
「加州」
「俺そんなに優しくないんだよね」
「だ、め! だっ、てば」
私が止めていなかった方の手が、唐突に熱い中心をなぞった。ぐりぐり、とタイツも下着の厚さも感じさせないほどに中心を押し込まれる。
「やめて、おねが、っ」
「ふふ。熱い」
無邪気とも思える彼の様子が、私の判断を鈍らせる。そうしているうちにほんのかすかな水音が耳に届いた。
「ひっ、う、あ、あ、やだ、あ、だ」
ぐっと押し込まれたかと思うと、かりかりと爪先でその上の突起が引っ掻かれる。もぞもぞと腰が動いて、もどかしさが脳髄に響く。
「ねえ、どうして誰も主を呼びに来ないかわかる?」
指の動きは止まらないまま、加州がふとそんなことを言った。
「へ、ぁ、っ。っ! あ」
下腹が引き攣りだすと、もう私の意思ではそれを止められない。声を止めることすら困難になって、また口元を手のひらで覆った。そのために自由になった腕で加州は私の太腿をしっかりと押さえる。ぐりぐりと中心を押すのが膝に代わり、それでもなお爪先がもどかしく陰核を刺激する。
「俺がね、主にこういうことするってみんなわかってるからだよ」
諭すような声色だった。快楽に支配されつつある私に、その状況を改めて思い知らせるように。
「そんな、っ、わけ、ぅあ、やだ、っ」
「……昨日、安定が忠告したの聞いてなかったの?」
ああ、あれは忠告だったのだ、と今になって思い返す。不思議なことを言うんだなと、昨日は確かに思ったのだ。だって加州が、まさかこんなことをするなんて。やだやだと首をふっても、彼の腕から腰を逃がそうとしてみても、それらは一向に叶えられない。
「かしゅ、が、ぁ、こんな、っ、するはずないって、思って」
はは、そうだろうね、と笑った声はいつもの加州の声で、場にそぐわない明るさだ。
「加州清光は、優しくて頼りになる主の初期刀だから」
「かしゅう、っん」
胸の、中央に口付けられる。それ自体はくすぐったいだけの刺激だったけれど、私はその感情を解する余裕すら与えられない。
「みんなにバレてるんだよ」主が今、俺に手籠めにされてるって。
ぐっと顔が近づいて、秘密を共有するような声が私に降った。その瞳に囚われて、私はすべての思考を奪われる。
「〜〜〜〜〜っ! そ、んな、っなんで、」
がくがくと震える腰が、もう少しで弾けそうだ。目尻にだんだんと生理的な涙が溜まっていく。
「ひとがふたり好き合ってるんだから、誰も否定する理由なんてないでしょ?」
「あっ、う、あーーー、っ! や、ああ、」
「だーかーら、」
真っ白く飛ばされそうな寸前でぴたりとその動きがすべて止まる。
「ぅ、あ、はあ、っ」
使われっぱなしだった声帯が震えなくなって楽になったというのに、抑え付けられていた足が緩いでしまったことに、腰が切なく勝手に揺れる。
「誰も主を助けに来ないよ?」
ぞわりと這っていった手は私のウエストにかけられた。は、は、と大きく吐く呼吸が落ち着く気配はない。中途半端に与えられた熱が、身体の中にわだかまったままだ。加州は私の次の行動を試している。かと言ってここまできて彼に逃がしてもらえるのか、その選択肢が許されているのか、その答えは覗き込まれる彼の瞳に理解させられた。何気なく腰を撫でられる手の温度に息を呑めば、スカートのファスナーがゆっくりと下げられていくじりじりとした小さな音。今、私には、ほんとうは彼を止めることが出来るのだ。その隙が、与えられているのに。つん、と裾を引かれた。私は、それに、ほんの少し、腰を浮かす。
 加州がにんまりと笑う。彼に選ばれたスカートが、彼の手によって脱がされる。口元を抑えていた両手は無意識に祈るように組まれている。肩でする呼吸も収まらなければ、小刻みに身体が震えている。見せつけるような所作は、それはゆっくりとしていた。続けて、彼がタイツに手をかける。太腿から、自らの肌が露出していくのがすべて見える。ゆっくりと肌色が増えて行き、指先でなぞるように片足ずつそれは抜かれていった。──初めからすべて彼自身のために、着飾らされていたのだ。すべての肌を晒して彼に捧げられるこの瞬間のために。下着が抜かれると、つう、と粘液が糸を引く。彼に選ばれたものも、また選ばれなかったものさえすべて剥ぎ取られてしまえば、隠すものも一切なく、灯りの元に裸体が晒される。弧を描いた甘やかな瞳が私を見つめ、頬に手が添えられる。可愛らしい音でひとつ額に口付けを落とされると、彼の指がもう一度そこに這って、今度は耳を塞ぎたくなるほどのはしたない水音が鳴った。ぐちゃり、と指が埋められる。確かめるような動きがだんだんと的を得て、次第に狂おしい熱を蘇らせる。
「ひっ、う、あ、っうう」
指は私の中を蹂躙しながら、彼が恭しく唇を寄せる。しかしやはり唇にはそれをもらえずに、ただ胸元や首筋や、鼻、耳、頰、額にばかりそれは滑った。どちらの吐息なのかわからない距離で真正面に彼を見据えながら身体を揺さぶられると、まるで行為そのものをしているかのような錯覚に陥る。ぐちゃぐちゃとわざとたてられる音にいつのまにか彼にしがみついていた。
「かしゅう、もう、やだ、も、」
その赤い瞳はいつもと変わらないようにしずかに私を見ている。私は、加州の赤く少し暗い瞳が、綺麗に跳ねた目尻の合間で私をしずかに見据えるやさしい瞬間が、ずっと、好きだった。いつでも、その瞳が、未熟な私を支え続けてくれていた。それに恋をしたのは、彼と出会ってそう日が経ったあとのことでもない。結局すべて彼らには見透かされていたわけだけれど、それが叶わないことを、私は楽観的に受け容れていたはずだったのに。今、その恋しい瞳が私だけを見つめているという事実だけで、どうにかなってしまいそうなほどに身体が焚きつけられる。ぎゅうぎゅうと彼にしがみつきながら、再び上り詰めそうな予感に、彼の乱れのないいつもの服装に若干の寂しさを感じた。──ほんとうはこんなことになっていいひとじゃない。
「あああ、やっ、やめ、かしゅ、っ、ふ…………、っ?」
不意によぎった思考に彼が気づくわけはないのに、またしても寸前で止められた手に、身体がただわななく。
「ほんとうにやめようか」
「へ、ゃ、……あ、」
もう一度ゆるやかに動かされ始める指の隙間から、こぽりと愛液が零れる。
「主は俺のこと嫌いになったんでしょう?」
私は何を言われたのか、咄嗟には意味を理解できていなかった。身体にじわじわとまた熱が齎される。
「え、う、や、ちがう、っう」
「だからこういうことするのもやだよね」
ごめん、と軽やかに笑ったそれは私に対する小さいようで残酷な復讐だと思った。思考を奪うほど気持ちよくさせながら、決定的な快楽を与えずにぐずぐずと甚振られている。ちゅ、ちゅと軽く落とされる唇も、ほしいところには絶対に触れてはくれない。
「ちがう、ちがうの、か、しゅ、まって、やめ、や、っ、じゃ、ひっ」
弁明しようにもそれすらさせてもらえなかった。私が言葉を紡げば的確に快楽を与えられる。けれど絶頂する寸前には必ずさっと手を引かれた。幾度も幾度もそれを繰り返されるうちに朦朧としてきて、口にのぼる言葉が無意識のものに置き換わっていく。すぎた快楽にぼろぼろと涙が溢れ、暖かく見守るような赤い瞳にすべての痴態が映されている。加州、かしゅう、と名を呼びながら泣き喘いでいれば、ぎゅうぎゅうにただ一本の指を、それまでになく締め付けた直後にまたしても身体を解放される。
「可愛い」
何も与えられない身体が切ないという感覚すら通り越した。呼吸の整え方すら忘れてしまいそうだ。
「〜〜〜いじわる、っ」
「だから嫌いって?」
間髪いれずに加州は笑う。私ははっとして彼に取りすがる。
「ちが、ちがう。……きらいじゃない」
今度は強制的に止められないものだから、言葉がすべて彼に届いた。「ふうん、ほんとう」と碌に語尾も上がらない二の句を次ぐ彼の瞳は、今までに見たことのないほどどろどろに溶けている。その瞳が私の理性を解く。彼の頰を包んで引き寄せ、あとほんの少しで唇が触れる、というところで、予想に反してふいと彼が顔を背ける。
「なんで、よけるの」
「せっかく綺麗に差したのによれちゃうじゃん」
くちべに、と加州が笑う。きっと泣いて目元はぐちゃぐちゃなはずだし、髪だって、セットされたものを留めているはずがない。彼が選んだ服はすべて、剥がされてしまって、加州が綺麗にしたものは、もはやなにひとつ残されていないというのに。口紅ばかりにそんな。彼はこんなに、いじわるなひとだっただろうか? 下唇の輪郭を彼の親指がゆるやかに撫でるだけで、私はもう嬌声を止めることすらできない。やだやだ、と頭を振る。
「や、やだ」「うん。やめてあげないけど」「ちがうの、っ、そうじゃなくて」「違うの? やめてほしいんでしょ」「ちが、う、ぁ、かしゅう」「なあに、主」
また私の思考を奪わんとする指先が動きだす。快感が、こんな拷問じみた感覚になるだなんて、知りたくなどなかった。
「もっと、」
それなのに、貪欲な言葉が脳を介さずに吐き出される矢先に、またしてもそれは阻止される。
「ううう、ぁ、あ、や、あああああ、っ、ふ、え」
「もっと? ちゃあんと言ってくれなきゃわからないよ、主」
きゅっ、と彼の指の形すら感じられるほどに中が動いた。我ながらあまりに正直に、押し殺していた彼への恋心が身体の反応へと反映される。気持ちよさにもう身体の輪郭すら留めていられないような錯覚に陥る。
「もっ、と、っ、して、」「なにを」「なっ、そんな、ああ」「どうやって? どんなふうに?」「やだ、や、あ、いじわ、る、っ、しないえ、う」
本格的に泣きの入った私の声に、耳元で加州が笑う。じゃあ、と彼は言った。
「俺はちゃんと素直に言ってあげる」
もう何度目かわからない、絶頂の手前で快楽を手放される。ただの呼気に声帯が震えて、勝手に声が漏れる。
「かしゅ、う」
指が引き抜かれる際に、かすかに陰核を掠めたのにも我慢できずに身体が震えた。密着していた身体が離れてしまうことが寂しい。
「やめちゃ、ゃだ」
「はは、もう泣き喚いてもやめてあげない」
上機嫌に目尻に口付けられて、離れた唇が私の涙で濡れて光っている。身体を起こした彼の指がそのままベストの釦に手をかけて、
「手、べとべとになっちゃった」
不意にその手を私の前にかざした。情事のにおいが鼻をうち、羞恥心が引き戻される。
「ち、ちがう」「なにが。……すごく気持ちよかったでしょ」
指をそっと動かせば粘液が目の前で光った。そのまま目で追っていくと、私の目の前で、纏ったベストの金の釦がひとつずつ外される。見慣れた衣服が柔らかく畳に落とされて、襯衣の丸い釦にも手がかかる。ゆるやかな動作にいたたまれなくて、つい頬を手で覆った。
「そんなにぐちゃぐちゃになって身悶えて、身体は悦んでくれてるのに」
はらりと肩から襯衣が滑って、細く引き締まった肉体が露わになる。反射的に目を背ければ、「だめ。ちゃんと見て」と声のみで視線を矯正される。ベルトの外される密かな音。やがて現れる筋肉質で滑らかな脚に、私はつい声を失った。
「あるじ」
腰を支える手が、これから行われることを微塵も感じさせないような、優しげな動きをする。身体が寄せられるとともに、中心に熱いものが押し付けられる感覚が、意識を官能の向こうへ開かせた。
「あ、ぁ、ああ」
「抱きしめてよ」
意味もなく硬く握られていただけだった私の手を加州が拗ねたような声音で叱咤する。彼の首に腕を回すとさらに身体が密着して、ゆっくりと、先端が私の中へ入り込む。
「俺はね、」
加州が、は、と短く息をついて、ほんの少しだけ切なげに眉根が寄った。私の口角に、何度目かもわからない唇が寄せられる。頰を挟まれて、深く、吸い込まれそうな瞳と視線が絡む。
「俺以外の男のために、主が可愛く着飾って出掛けていくのがずっと嫌だった」
「そん、な、ぃ、っ」
密着した素肌の間で、加州の手のひらが私の身体を確かめるように這う。太腿を撫でて、腹をじっとりと押し、胸のやわい肉を持ち上げる。鎖骨の間を指がなぞって、そのかけられたままだったネックレスの金具を通った。
「ほんとうは主だってわかってるんでしょ?」
「っ、あああ」
ぐっと膣壁を押し広げられて、熱が込み上げる。その間にも加州が私に見立てた最後のものが、静かに外された。金具が畳の上に投げられる音。私にはその先の言葉の見当がついている。決して聞いてはいけない。言わせてはいけない。名を呼んで、請うように首をふったのに、加州は初めのように顎を捕らえてまっすぐに瞳を奪った。
「おねがい」「好きだよ」
聞き入れてはならない言葉に、首をふるのも目を瞑るのも許されなくなる。ゆっくりと犯された身体が、ついに最奥まで暴かれる。
「かしゅ、う、ふ、ぅ」
「主が思ってる、以上に、っ、主のことが好き」
「ひぅ、う、あ、ああ、だめ、んっんん」
肌を叩く音が、紛れもなく加州と、私のために鳴らされる。待ち望んだ大きな刺激は勝手に内腿に力を入れた。快楽も、思考も綯い交ぜになって、私はどうしようもなく酷い顔をしているのだろうに、見上げさせられる先の加州はただすっきりと笑んでいる。
「やだ。もう逃がさないから」
ちゅ、と唇が落ちた。鼻先に。頬に。瞼に。私の唇は、その指先が輪郭をなぞるのみで、ぐちゃぐちゃにさせられて気持ちよくて仕方がないのに、ずっと、ずっと何かが足りない。
「かしゅう、っ」
「は、なあに、主」
「う、ぅう、」
彼の名を呼んでも、首元に抱きついても、それは埋まらなかった。気持ちがいいのに、もう絶頂はすぐそこなのに。
「やっ!」
「はは。すごいぎゅってしたよ、ここ」
きゅんと締まったなかで、彼のもののかたちすらわかってしまう。その一点を執拗に突かれると、呼吸すらもままならない。
「うああ。もうや、ら、かしゅ、やだ」
「素直じゃないなあ」
やだ、やだ、と喘ぐのは確かに無意識だったけれど、でもその気持ちよさをこれ以上に与えられて、私は正気でいられる自信がない。きもちよくなりたいけれど、ほんとうにもう手放してしまいたい。退ける腰を彼の腕が留めて、激しく奥まで突き入れられる。刹那にそれまで許されなかった快楽が一気に弾けた。
「やああああ! あ、う! やら! も! あ、」
「うん、っ! きもちい、ね?」
がつがつと揺さぶられて、もうなにが気持ちいいのか、どこで意識が飛んだのかもわからない。
「あるじ、あるじ?」
彼が私を呼んだのは一瞬のあとだったと思ったけれど、もしかするとほんとうにいくらか気をやってしまっていたのかもしれない。私を穿つ動きはまったく衰えていなかったけれど。
「ふ、え、あっ! んんん、むり、も、やめ」
「だめだよ。まだ許してあげないから……!」
「ひ、ゃああっ! も、いけな、! ぃやっ!」
「きもちいいっ、ね、あるじ、俺も、いきそ、っ」
今までは私のことを少しは気遣っていたのだと、彼が動きを変えてようやく気づかされる。達しすぎた身体がさらにその上の強烈な気持ちよさを拾う。荒い呼吸に酸素がうまく取り込めない。頭がくらくらした。きもちいい。
「かしゅう、やだ、きもちい、ま、たっ!」
「はっ、いく、ん、くっ」
「ひっ、…………っ、っ!、あ」
びくびくと跳ねる私の身体を無理矢理抑えつけて、加州がぐっと身体を屈める。奥に強くそれが押し付けられて、じわりとした熱さが中に広がった。すべてを身体の奥に押し留めるのを念じられるように、しばらくそのまま最奥を擦り上げられる。首筋にあたる加州の吐息が熱い。息も整わぬ間に、やがて顔を上げた彼を改めて見ると、汗の光る肌が艶っぽく、凄絶な表情をしていた。それに中てられた身体が瞬時に反応する。はっとして力の入りきっていた腕を緩めれば、彼の表情が大仰に歪められたあとであった。なかで、それが、硬さを持つ。首筋を下った汗が、火照った肌に異様に冷たく感じた。
「まって、!」「待たない」
ゆるゆると、再び動かされるそれが、果てのない快楽の底へ私を叩き込もうとしている。
「気持ちいい、でしょ?」「ぅ、ぇ、きも、ち、い、けど、!」「まだ足りない」
加州の声音がまあまりに冷静であるがゆえに、このまま、確固たる意思の元に、彼に貪りつくされるのだとひしひしと感じる。ぎりぎりまでそれが引き抜かれると、どちらのものか、わからない体液が尻に伝った。激しく揺さぶられるのを予感して身構えるも、大した力強さもなく、じっくりとそれが私の中へ押し戻される。
「ね、あるじ」
何度もそれを繰り返されれば、発熱した自分の身体の状態を嫌という程知らしめられて、弱々しく声帯が震う。何度ものぼり詰めさせられた身体は貪欲になりきっていて、あんなにもう十分だと思ったのに、どうしても、どうしても、足りない。
「や、ぅ、」
「きもちいい、ね?」
ちゅう、と唇が落ちる足りない。ほしいものが、与えられない。
「……きもちいい」
もう一度軽い音。
「いや?」「そんな、わけ、ない」
彼の指が私の顔の上で乱れた前髪をはらった。彼自身のものをも同じように耳にかけて、そのいつものイヤリングが揺れて光る。次第に速さを取り戻していく動きに、ぐちり、と、どろどろのそこから音がする。きもちのいいところをたくさん擦られている。それなのに。足りない。ほしい。
「かしゅう、」
もう何度彼の名を呼んだのか、声が掠れる。
「なあに」
何度呼んでも彼は私にきちんと応える。
「……ふ、あ、もっと」
「ふふ。いいよ」
顔が近づいて、鼻先がつん、と触れた。一番きもちのいいところに、迷わずにそれが押し付けられて、ぶるりと勝手に身体が震える。
「う、あ! っう」
今度こそは彼の呼吸も、少しばかりは荒い気がするけれど、それはまさに目と鼻の先で彼が私を見つめているからかもしれない。じわりじわりとまた達する予感が背筋を駆け上ってくる。それでも満足できなくて、もどかしくて、彼の頰を両手で包んだ。しっとりと、手のひらを滑る汗ばんだ肌。彼が私にしたように、唇の輪郭を指でなぞってみる。
「どーしたの」
彼に尋ねられる。私はもう白旗をあげるしかない。
「………………ちゅー、したい」
強請った声は絶対に聞こえたはずだ。「ん?」なんて白々しく聞き返すのは絶対にわざとだった。
「〜〜〜! ちゅー、っ、キス、して、かしゅう」
「どうしよう、かなあ。せっかく、紅、ひいたのに」
ちろりと加州の舌が覗いて、その唇を舐める。瑞々しい赤さに目を奪われて、思わず顔を寄せればまたほんの少し顔を背けられる。口角に唇があたる。揺さぶられていた腰も止められてしまったのに、私だけが余韻に腰を振っている。
「んん、そんなの、いい、から、あ」
「俺がよくない。……あるじ、泣かないで」
満たされない身体が切なくて、引き伸ばされた快楽に涙腺が栓を失った。ぽろぽろと零れてくる生理的でない涙を止めることもできず、快楽に押し流されることのない言葉で身も蓋もなくせがむ。
「や、だ、ぅ、えっ、っ、う、うっ、ちゅー、かしゅう、もっと、なんで、ぅ」
ふうふうと、制御できない自分の呼気がけもののようだ。
「あるじ」
何度目かの、与えられない唇が私を呼んだ時、嬉しそうに細められた赤い瞳にしずかに見据えられて、……つい口からすべり出たのはただ一言の無意識の本心だった。
「っ、すき、!」
言葉にしてしまって、はっとする。うん、と加州はただ頷く。目尻の涙が強く指に拭われて、唇に吐息のあたる、その距離で。それはもう、見たことのないほどに。
「知・っ・て・る」
にやりと、加州がいたずらに笑った。ひゅっと喉を詰まった呼吸ごとすべて飲み込まれる。合わさる唇が熱くてきもちがよくて、身体までこれ以上溶かされそうになる。すぐに律動が再開されるものだから、私は彼の舌を噛まないように必死になる。唾液が唇の端から零れるのは彼が強引に拭い、じゅるじゅるといやらしい音を立てられる間にも喘ぎが止まらない。もう、自分が、何をどう零しているのかもわからない。
「ふぅ、ん、っ、うえ、すき、かしゅう、す、き、すき」
ようやく唇に体温が与えられて、蹂躙される口内にぞくぞくと背筋が反る。加州は容赦無く私を攻めるので、気がつけば呼吸すら奪われてしまいそうだ。たまに離れる唇で大きく酸素を吸うけれど、全く足りることもない。私の生理が、すべて彼の動きに完全に支配されている。髪を振り乱して身悶えて、キスの合間に彼が私を呼ぶのを聞く。同時にひときわ強く突かれるのにがくがくと腰が揺れて、噛んでしまないようにと離そうとした唇から、あからさまな嬌声が漏れた。
「ふ、ああああ! っ、もうや、ら! きもちい、や、あ! すき、かしゅう!」
しかしそれが長く許されるはずもなく、すぐに舌先を吸われる。やわらかく噛まれてまたびくりと肩を揺らせば、次には下唇を甘く噛まれて、口の中で、加州が少しだけ笑った。
「いじわる、っ、し、て、ごめん」
とろとろに溶けた声はひとつも悪いと思っていないのだろう。彼が気持ちよくなるための動きに身体が狂わされる。もう自分の身体がいつ達したのか、そうでないのか、全くわからない。ちかちかとしだす視界でぎゅうと彼に抱きつけば、私よりもよほど強い力で身体が抱かれる。
「もうよそ見しないでよね」
「んっ、は、い、っああああ」
耳元で一段と低められた声に、そう答えるよりほかなかった。加州の火照った首筋に唇を寄せたのも束の間、彼が苦しげに息をつく。力の入りきった身体に再び注がれたそれが、先よりも熱くて、重くて、執拗に何度も奥に塗り込められるような動きに、ついに頭が快楽のうちに閉ざされた。寸断される意識の狭間で、痙攣する身体を叱咤して彼に縋りつけば、同じように抱き締められて、首筋に唇が落とされる。

 次に目を開けた時にはそこは布団の中で、ぬくまった身体は清められたのかべたつくこともなく、私の意識を落とした男の腕にやすやすと閉じ込められている。開けた瞳に光が眩しいところを鑑みると、きっともう昼も回っているのだろう。
「オハヨウ」
「ぉ、は……っ!?」
上から降った声に、言いたいことがたくさんあってまず息を吸ったのに、掠れきった声しか喉からは出ない。悪びれることもなく笑った加州の胸を軽く叩けば、首筋にただひとつ私がつけた赤い痕が見えて、裸で抱き合っていることに今更顔に血がのぼる。照れてるの? などと加州がまた上機嫌に笑いながら、私の髪を梳いていた手で後頭部を抑えた。赤くて、光を含んだ瞳に見据えられて、鼻先が触れる。何かを言ってやらないと気が済まないのに、なにひとつ言葉にできるものも見当たらなくて、静かに唇を寄せる。もう躱されることもなく、甘んじてそれは受け入れられる。乾いた音で唇が重なる。つい嬉しくて二度三度と繰り返すと「なあに。またほしくなっちゃった?」などと彼が戯れるので、それにはつい「ばか」と悪態を返した。
「……もう恋人をつくりに行かなくてもいいね」「そうだね」「でもまた俺に着飾らせて? いっしょに出掛けよう」「うん。とっても可愛くしてね」「あの口紅は主にあげる」「ほんとう?」「元々主にあげるつもりだったし」「……よかった。ありがとう」
加州の指先が飽きずに私の唇をなぞる。きっともうそこに紅なんて乗っていない。赤いいつもの彼の爪先に、その色が凝縮されて戻ってしまったようだ。今度は加州からゆっくりと、ひとつ、口付けられる。
「……加州」「うん」「……好き」「うん、知ってる。俺も主のこと好きだよ」「知ってた」「だろうね。やっと捕まえた」「ちゃんと向き合わなくてごめんなさい」「いいよ。俺も、身体、無理させてごめん」「……それ、あんまりそう思ってないでしょう」「はは。ばれた」
可笑しそうに笑う声の振動が、彼に身を寄せた私の肌に響く。身体は重たくて恨めしい気持ちはあるけれど、そのあたたかさに私もいっしょになって笑う。
 日の暮れる頃、やっと起き上がって鏡台の前に立つと、隠せるはずもない噛み跡や赤い痕が首筋あたりに数えられないほどつけられているのを目の当たりにする。誤魔化しようのなさに途方に暮れていれば、加州は笑って、ふと軽く羽織った襯衣を肩だけ落とした。ほら、と私に背を向ける。
「俺だって風呂に入れば隠せないよ。もちろん進軍の時も気をつけてね」
その有様につい目を背けて鏡台に向き直る。私が言葉を失っている間に、優しい体温に背後から包まれた。楽しげに、彼が笑うので、私はすぐに振り返って、正面から彼に甘えにいく。

2018.10.25