深い眠りの底で、ぞわぞわと身体を這い回る感触に目を覚ました。
「え、あ、っ」
驚いて開けそうになる目が、大きな手のひらで覆われる。ふわりと久しぶりの匂いがして、これは現実ではないと悟った。
「気がついたか」
彼の人の声が、私の胸元から聞こえる。その声とともに熱い吐息が肌にさわって、身体を這っていたのは、その男の舌であったと気付かされた。
「なん、っ、」
「よく眠っていたなあ、……俺が入り込めぬほどに」
ちゅっ、という音とともに、肌に少しの痛みを感じる。ひたすらに何度も繰り返されるそれが、私の肌にいくつもの赤い痕をつけている。
「他の男に抱かれただろう」
目を手のひらで覆い隠されたまま、そのようなことをその男はただ告げた。
「そんな、今までだって、っつ!」
今までだって何回か、ほかの人に抱かれていたのに。言葉は続くことなく、首筋まで上がってきていた男の唇が、そこでがりっと肌を噛んだ。鋭い痛みが走る。夢の中の男が、現実であるはずの私に、怒っている。そう頭の片隅のかろうじて冷静な部分が主張した。閉ざされた視界に、その男の容貌が見えるような気がする。冷たく刺すような三日月の浮かんだ瞳。
「主は、少し俺が目を離した隙に、姿を眩ますような悪い趣味でもあるのか?」
「な、に、それ」
男は平然と私に声をかけるものの、目を覆わないほうの手が私の身体をまさぐっている。乳房を乱暴に掴み、ぐにぐにと形を変えるようにされながら、舌がねっとりと首筋をなぶるので、私のほうは会話もままならない。いつのまにかあがりだした呼吸が、無意味な音だけを呼吸とともに吐かせた。ぐずぐずと、あれからずっと身体を巣食っていた熱がぶり返している。
「ん、っ、は、……あ」
「まだ目を開けるなよ」
まるで呪いをかけるように男の指が私の瞼を撫でて、目元から手が離れた。そのまま手が顔を撫で、唇をなぞる。男の身体が再び私の胴のあたりにさがった。あまりに密着した身体に男の衣服が私の肌を掠めて、今日は完全に、まるで押し倒されたように彼に覆い被さられていると気がつく。私の身体はもうすでに剥かれて、彼の目の前にすべてが晒されている。ふっ、と軽い息が乳首に当たった。
「っ」
「そいつらは、どのようにおまえを蹂躙したんだろうなあ」
唇をなぞっていた指が口内に突き入れられる。唾液を促すように舌をぐにぐにと掴んで、その指を引き抜いて私の胸元を探る。濡れた感触が肌を這って、指が乳首に到達する頃には反対側を男が口に含んだ。びくりと身体が揺れる。久しぶりに与えられたような快感に自らが一番驚いた。元恋人はもちろん、自分で触ったところでここまで気持ち良くなることができなかったのに。音を立てながら吸ったり、噛んだりするのと同時に、指が突起をつまんでころがすのがたまらなくきもちいい。
「な、ん、で。こん、な、っ」
どうしたのだろうと思った。私の身体はどうしてしまったのだろう。それでもこれだけの快感を拾ったのは初めてではなく(それはこの男が夢で私に与えてきたものだけでもない)、この手管に、漠然とした昔から飼い馴らされているのだと再びひしひしと感じた。
「こうやって、ひたすら触られるのが好きだろう」
確信的な言葉が投げられる。現実に気持ち良くさせられていることで、反論もできないのだが、私が答えないところで彼の動きは変わらない。
「ひっ、あ、や、っ、んっ」
噛んだり、つねったりするような動きが、やはり今日は少し乱暴だ。痛いのだけれど、快感を拾える程度の痛さが、身体を悶えさせる。思わずその男の頭を抱きかかえた。くしゃりと、しなやかな髪が指に触る。ぞわぞわと背筋をのぼってゆく快感が解放されることもなく体の奥底にわだかまっていく。
「今宵は随分と」
落ち着いた声音がひとつ落ちる。男が身を起こして私の腕をひとまとめに握り込んだ。自然とすり合わせていた私の脚を割り開き、その間へ身体を置き直す。男が身を起こしたことで火照った身体が風に当てられて肌を泡立たせた。
 男はそのまま何をすることもない。肩で呼吸を整えながら、開きそうになる目を必死に閉じた。私の手首を掴んでいる手だけが、男を感じることができる唯一の温度で、それを離されてしまうのが怖い。私は、彼に触っていてほしいのだと、その男の肌を感じていたいのだと自覚する。それでも彼はただ動かず、恐らく、その瞳で私を見下ろしている。呼びかけようと何度も口を開いてみるものの、私は彼の名を知らなかった。私は今、自ら彼を触ることすらできない。もどかしい。快感を溜め込んだ身体がもどかしいのもあるけれど、それだけでなく、彼が私を触れてくれないことが、私が彼の姿をこの目で映し出せないことがもどかしかった。
「やだ」
どうしようもなくなって、絞り出すような声が出る。ぎゅっと目を瞑り、その男の動向を全身で感じられるように神経を集中した。男は未だ何も言わずに、そればかりか、ふっとその手を離す。解放された両手に、彼の手を掴もうとしたものの、肌を掠めただけで完全に彼の気配を失ってしまった。ただ私が目を開けてしまわないように、この夢から醒めてしまわないように、どうしようもなくなってしまった両手で自らの目を強く覆う。身体を縮こめるように脚を閉じると、そこにだけその男の身体を感じる。寝巻き越しのその肌がとても遠いもののように思えた。
「もっと、ちかくに」
落ち着きだした呼吸が、彼を失うのではないかという恐怖に取って代わられる。このままもし目を開いてしまったら、もう彼は私と会ってくれないのではないかしら。いやもし目を開けずとも彼はこのまま、
「置いて行かないで」
「……先に置いていったのは、おまえのほうだろう」
懇願した惨めに震えた声に、悲しむような、怒ったような声が落ちる。その声に、群青の衣を見た気がした。この前より目の裏に浮かぶ麗しい見目に、群青の衣と、そして一振りの美しい刀。
「っ、あ!」
再び太ももに手をかけられる。大きく割り開かれて、ためらうことなく指がそこに触れた。
「こんなにぐずぐずにして。誰に教え込まれたのやら」
「そんな、んぁっ」
二、三度そこを指が往復する。身体が無意識に跳ねた。ぴちゃぴちゃと些細な音を立てて、そのままぐちゅりと中に指が入った。
「ああっ」
しなやかな指が、しかし自分のものとは比べ物にならないような、確かな男の指が中を蹂躙する。音を立てて抜き差しされながら、すでに知られてしまっている気持ちのいいところを指が掠めた。しかしそれは掠めるだけで、決定的な快感をもたらしてくれることがない。
「っ、や、あ、もっと、……っ」
男にすがりつきたいのに、何も見えない中ではどうしようもなく、目を覆っていた自らの手が床に投げ出される。自分に懇願しろと、すがりつけと、男はそう言外に、私に言っているのがわかっているのに。目を開くことができないのも、彼に触れることができないのも、どうしようもなくさみしく、悲しい。
「もう、っは、……もっ、と、きもちよく、」
快感を逃さないように力の入った身体が、ぐしゃりと敷布を掴む。なおも変わらない男の指の動きに自らの腰が揺れたのを、ぴしゃり、と男の手が太ももを打った。
「うう……、ごめんなさ、っ」
ぐちゃぐちゃと音を立てられながら、それでも与えられないものに為す術がない。ただ男の気の済むまでいいようにされるしかなかった。身体を強張らせて、くすぶり続ける熱に耐える。流れ出る声はとどまることを知らず、もう自分が何を口走っているのかすら定かではない。
「ごめん、な、さ、っ、う、あ、も、ゆるし、て」
「なにが悪いのかも思い出せぬのだろうに」
その言葉にぽろぽろと涙が溢れた。私にも彼に何を許されたいのかわからなかった。蠢き続けていた指が引き抜かれる。
「あ、っ、はあ、っ」
勝手に漏れる声で呼吸をしながら、目元を手で隠す。涙を誤魔化すように手で拭ったのもつかの間、いきなり突き入れられた指が確実にそこを突いた。
「やあああっ!」
悲鳴のような声があがる。
「いぁ、や、あ、っ、あぁ! んっ」
的確に与えられだした快楽に、身体に力が入った。脚を閉じようにも間にいる男を挟み込むだけでどうにもならない。顔を覆ってやだやだと首を振っても、止められることはなかった。
「う、あぁ、っ、や、だ、もう、やっ、きもちい、からっ」
快楽が頭を塗りつぶしていく。達する予感に身体ががくがくと震え、ふと目の裏に私を眺める男の姿が見えた。それは閨事の最中のことではないらしく、血に濡れた装束で私を抱いて、その美しい顔が眉根を寄せている。力の入って縮こまる身体を無理やり押しやって、腕を伸ばす。男の身体がほしかった。ただその胸に抱かれたいと思った。
「っ、あああ、も、やだ、いっちゃ、っ」
快楽に指先が丸まる。伸ばした腕に力が入って下されかけた時、男が私に身を寄せた。指が、中のより深いところをえぐる。
「ひゃあああっ、」
肩口に顔を押し付けて、背に腕を回して抱き寄せる。ついに与えられた快楽が全身を駆け上り、瞬間に何も考えられなくなる。それを見届けてからか、男の指が引き抜かれた。呼吸を整える間、男はそのまま私を抱いている。朦朧とする意識の中で、その香の匂いが胸に入った。その時に、”ごめんなさい”と言ったように思う。……月のない夜だった。

「っ、私は、あなたたちを、守るために」

はっと浮かんだ情景に勝手にそう口走っていた。彼がはっとする気配がして少し身を起こす。その手で私の口を塞いだ。何を言ったのかもわからずに自分でも我に返る。
「ごめんなさい。ゆるして」
その手の下で呟くや否や彼が完全に身を起こして、衣擦れの音がした。
「聞きとうない」
「あっ」
ぐちゃりと再びそこが確かめられて、身体が快楽に引き戻される。それでも脳裏に、そのいつかのことが蘇った。”そうすることで彼らは折れることなく元あったところへと戻ることができます”と知らぬ声、否、確かに知った声が頭の中で響いて、うめき声やはげしい戦闘の音を遠くに聞きながら、あのこぢんまりとした奥の私室で、管狐の持ち出した短刀を。
「っあああ」
ずくん、と私の身体を彼自身が貫いた。頭の中の情景が霧のように消え、その熱量だけがまざまざと押し付けられる。先ほどまでの指とは比べ物にならない質量が、一瞬にして私を絶頂まで押しやった。
「ぅあああっ!」
再びしがみつくもののなくなってしまったために、自らの身体を抱きしめる。それが打ち付けられるたびに達しているような、もうその境目すらないような感覚に、ぎりぎりと自らの腕に爪が立てられる痛みが走った。ひどい水音をたてながら責め立てられる。口元を覆われていた手が外されて舌を掴んで口内を犯した時、私がひたすら「ごめんなさい」と口走っていたことに気がつかされた。彼が私の方へ倒れこむ。
「どうして」
男の、ほんの少しあがった息がそう呟いた。私は与えられる快楽に押し流されそうになりながら彼に手を伸ばす。手探りで顔を包むと、口内を弄んでいた指が引き抜かれてそのまま手が重なる。頬ずりをするように、愛おしげに、片手が包まれた。
「どうして俺たちを信じて待っていてくれなんだ」
「はっ、あ、っえ、」
彼の動きが止まる。手を握り込まれて、ぐっと身体が近くなった。自然と奥の方に彼自身が当たって、ぐいぐいと押さえつけられる。
「ああ、っ、」
「主。俺がいつでも守ってやると言ったではないか」
切ない声だった。頰に当てる手は濡れていないのに、彼は泣いているように思える。
「っ、だって、目の前で、みなが、」
折れゆくのが見ていられなかったの。
そう確かに口走ったはずだけれど、ぐっと抱き込まれた胸に、彼に語尾が聞こえているのかはわからない。
「ごめんなさい、みかづき、……………………みかづき……さま……?」
その言葉を口にすると、全てが鮮明に思い出された。私がこの男のことを知っているのは当然だったのだと、腑に落ちる。「ああ」と男が嘆息した。
「三日月さま。みかづき、むねちかさま」
今度は私の方が泣きそうに、彼にすがりつく。どうして私はこの人を今まで忘れて生きてこられただろう、とそう、思った。けれど、それは確かに私であっても、私ではなかったのだと思いなおす。途端に、彼に縋ることが烏滸がましく思えた。
「ひっ!」
「もう何も考えずとも、よい」
私の考えることなど、もはや掌握されているのに違いない。力任せに身体が抱き込まれて、そのままより深いところを突かれる。これまで感じたことのない快楽が私を襲った。
「まっ、て、っあああ、そこ、な、に、」
「好きだろう、主よ」
「んんぁ、あ! ひっ!」
身体中に力が入る。彼の汗ばんだ身体が密着して、熱い体温に押さえつけられるのがひどく幸せだ。彼の胸元に顔を寄せて、その場にそぐわないような優雅な香の匂いを嗅いだ時、視界がひらけたように彼の姿が頭に浮かんだ。それは今までとは違って鮮明に、この、ただいまの状況が見えているのだとわかる。目を閉じているのはわかりきっているのに、まるで自分の目が彼を映しているかのようで、もう私は目を開いているのか、閉じているのかわからない。
「みかづき、さまっ、あ、っ、きもち、い、」
深いところに彼のものが押し付けられて動きが止められるのに、はしたなく、自らの腰が揺れる。そのもどかしさに自らの脚すら彼の身体に縋り付いている。
「主、目を、開けよ」
彼の手が私の顔を包む。じっと私を見つめる彼の瞳が慈しむように揺らめいているのが見える。親指が私の瞼を撫でた。私は彼をもう失いたくないのに。
「でも、っ、目を開いたら三日月さまが消えて、」
「もうどうせ、俺の姿など見えているだろう」
「っ!」
諭すような声が紡がれる。眉尻を下げた、私の見たことのない困ったような彼の表情が、いま、見える。
「主。俺を見てくれ」
その声に、恐る恐る、瞼を開いた。見えていたものと寸分違わぬ彼の表情が、消えることなく眼前に現れる。彼の背にすがっていた腕を、その顔に持っていって、触れる。彼は消えなかった。
「三日月さま」

ぞわぞわと背筋に快感が駆け上った。彼はただ、私の名前を呼んだだけだ。
「あ、っ」
「っ、く」
入ったままになっているそれが質量を増した。もう一度彼の名前をその名の通りの瞳に呼びかけると、ゆっくりと顔が近づけられて唇が重なった。触れるだけに一度音を立てて、それが何度も繰り返される。彼の身体が再び動き始めて、ぐちゃぐちゃという音に舌を絡めた。だんだんと自らの中が締まって、彼の形が感じられる。
「ん、っふ、う、」
生ぬるい舌が私のそれを絡め取って吸われる。歯を立てられると、ぴりぴりとした快感が舌先に襲った。彼がその合間に私の名前を呼ぶたびに、底なしに快感を甘受する。そのうちに呼吸が浅くなって、唇を合わせているのもままならなくなった。
「あ、っ、ああ、みかづきさま、も、う」
「……俺も、っ、そろそろ」
「は、あ、あっ、きもちい、みかづきさま、!」
何度も、互いに名を呼ぶ。荒い息遣いが部屋に響いて、互いに貪るように身体が動いた。
「もう、も、だめ、いくっ」
身体ががくがくと痙攣する。汗ばんだ身体に縋り付いて、ぎゅうぎゅうと力の入った身体が彼のものを締め付けた。その動きにひときわ大きく身体を打ち付けられる。
「あああっ!」
絶頂を許された身体に、さらに追い討ちをかけられる。強すぎる快楽に逃げようとする身体が、決して逃げられないような力で抱き込まれる。
「っやあ! も、う! もうだめ!」
悲鳴のような声があがるのをそれすらも押さえつけて、より深いところへと何度も打ち付けられた。その度ごとに快楽の淵へと追いやられる。苦痛のようなきもちよさに意識が飛びかけた時、ひときわ深く彼が入り込んできて、その奥へと熱いものが放たれた。彼の動きが止まってもなお、身体が痙攣する。ふたりぶんの荒い呼吸が静かに聞こえ、上気した頰がひどく妖艶な彼の顔が、私にひとつだけ口付ける。ゆるやかに、それが引き抜かれた。どろりと、液体が溢れ落ちる感覚がする。

 彼が私の隣に身を横たえる。私の目に映った天井は、今住んでいる自室のものではなく、けれど間違いなく私の私室のものだ。見回した部屋の様子は、あの昔住んでいたところと寸分も違わない。おもむろに腕が引かれて、彼が私を抱き寄せた。やわらかく、優しく。安心する匂いがする。あやされる背中にどっと眠気が押し寄せてきて、眠りそうになる目を必死で堪えた。
「眠ってしまったら、三日月さまは、消えてしまいますか」
「さて、どうだろうな」
髪が撫でられる。眠れ、と促されているように。
「今度こそは、姿を眩ますような真似はするなよ」
必死の抵抗も虚しく、意識が落ちる寸前、そのような声がして、彼が私を強く抱きしめなおした。

2017.07.31