*いろいろご注意:女審神者と刀さにだけど男審神者がでる&男審神者と宗三の夜伽&女も不遇

 夫婦ものの審神者は珍しくない。どちらかが審神者で、その配偶者を本丸に住まわせるということは、政府にも許可されていることだった。この本丸も例外でなく、審神者には妻がいるらしい。らしい、というのは、しかし誰も、その妻という女を見たことがなかったからである。近侍であり、審神者の気に入りで、私室にもよく出向く、そればかりか夜伽なぞさせられるような宗三左文字も例外でなく、彼ですらその女を見たことがなかった。
 審神者の私室がある離れは、基本刀たちが立ち入ることはない。審神者は優秀な男であったが、それが慕われる所以にはならなかった。宗三を夜伽に呼ぶように、男は、自分以外のものを全て配下として(それは間違いではないのだが)自分のいいように扱っていた。戦績が出なければ罰則もしばしばだ。触らぬ神に祟りなし、というのはどういう言葉か、刀たちは必要以上に審神者に近寄ることはなかった。離れには審神者の寝室と、その次の間、奥の間があることだけはわかっている。宗三が入ることが許されているのは次の間と寝室のみで、奥の間に立ち入ったことはない。その三室しかない離れですら女の姿を見ないとなると、おそらく奥の間が女の部屋であるのだろう。関心を持たぬようにしていたのは宗三ですら例外でなく、奥の間のことも、妻のことも、男に尋ねたことはなかった。

「お呼びですか」
どの時間よりも音のない夜中に、宗三は離れの寝室を訪れる。この行為にももうだいぶん慣れた。どうして自分が選ばれたのか、また、どうして自分だけが選ばれているのかすら考えるのも面倒に、人間の強欲はやはり気持ちの悪いものだという気だけで、毎夜を過ごす。妻がいるのだからそれを抱けばいいのにと思う反面、この男はおそらく誰かを支配下に入れたいだけであるから、自分のような神の端くれのようなもの、という存在を陵辱したいだけだというのが本当のところに違いない。今宵もいつもと変わらずに男のいいようにされるのだろうと思いながら部屋にすべり込めば、男はいつも以上ににやにやした顔で、「今日は俺は触らない」と言った。「はあ」と応える。色のいい返事をしたことなど今までに一度もない。男はそれに気にする素ぶりを見せることもなく、宗三の手をとった。飽くまで奉仕しろ、ということだろうか、と宗三が男に手をかけようとすれば、にやにや顔は変わらずに「違う」とだけ言って、立ち上がる。
 男が連れだったのは、例の奥の間だった。男の寝室にはたしかにそこに通じていそうな襖はなかったが……、それにしても奇妙に、その間に入るのに男は外からの躙口を使う。当然、宗三も佩刀していたものを抜き取って入らざるをえなかった。入ってみれば、ただ布団の敷いてあるだけの部屋に、襖もなければ窓もない。壁に障子は見えるけれども、どうやらそれは在るだけで、その向こうは壁らしかった。つまり、出入り口は今入ってきた躙口のみ。妻だと言われた女は俯いて、長い髪が顔をよく見せない。布団の上に小さくなって座った姿は幼くすら見える。見ろ、ということか、それとも、見せろ、と言うことか。様子を伺えば「早くやらんか」と男から檄が飛ぶ。その声は女の方へ刺さって、恐る恐る女が宗三へ手を伸ばした。宗三の背を男が押す。見せろ、という方が正解だったらしい、と宗三は女の手をとって布団へなだれ込んだ。
 女は、色の白い、細っこいものだった。顕現してから自らも男の身体をしているし、触るものは男ばかりで知らずにいたが、痩せて骨っぽいものの、女の身体はどこか柔らかい。唇を吸えばそれすらも柔らかく、宗三はその感触に戸惑うばかりだ。男女のまぐわいを知らぬわけではない。それでも触れるうちに自らの力で壊していしまいそうなほどに脆いような気のする女の身体が、宗三には恐ろしく思えた。いつも自らが施されているようなことを、全て女の身にうつす。女は、こんな異様な状況にも関わらず抵抗することもない。顔を覆い隠していた黒髪がやがて布団に散って、身につけていた衣を剥ぎ取ってしまえば、女はやはり幼かった。幼妻を取った、と思うにしてもあまりに、男とは年の離れているようにすら思われる。潤んだそこに手を這わせれば初めてあがった色のある声に、幼いといえど女であることが知れる。
 男は、いつのまにどこから持ち出したのか、躙口の脇で酒を飲みながら、じっとその様を眺めていた。時々、野次が飛ぶ。もっとこちらに見えるように、脚を開かせろ、やはり見られるのが好きか? など。口にすることも憚られるほどに淫猥な言葉を吐いては、女を、宗三を詰ったつもりになっている。宗三もさることながら、その言葉が一切女の身を高ぶらせていないことが、触れた身体からわかるのが滑稽だった。宗三は女に言葉をかけなかった。必要がなかったからだったが、女もそれを求めてはいなかった。しかしいざ押し入る、というところになって、女が初めて喘ぎ声の間に「やだ」と否定の言葉を述べた。情事の戯れの、裏を返した言葉かと思えばそうではなく、「もうやめて」と言われれば宗三も、ひどく繊細なものを壊してしまうようで躊躇ってしまう。その身体をなぞってみれば、そこは潤っているし、強引に押し入ることは不可能ではないだろうが、宗三にはそれを強行するほどの熱情も、義理も持ち合わせてはいない。
「何をしている」
男の声が飛ぶ。早くしろと言わんばかりの声は苛立っている。
「御内儀の御気分が優れないようですよ」
女を見下ろしながら、宗三は男に向けてそれだけを言った。女の表情は、初めから今まで変わらずに無く、何を考えているのかは知れない。男がゆらりと立ち上がり、宗三を押し退けたかと思うとその手を振り上げた。乾いた音が響く。
「お前はいつも何の役にも立たん」
男が女の頬を張ったのだったが、強引に寝室に引き戻された宗三には、女の表情は見えない。

 宗三が女を見たことを、特に誰にも伝えなかったのはその理屈がないからである。また女の存在を知ったところで、日常が変わることもない。刀の各々が別のように生活をし、出陣をし、男の配下として扱われる。戦績も悪くなることなく、宗三の処遇も変わらない。ただひとつ変わったことと言えば、たびたび男が宗三を連れて奥の間へ入るようになったことだ。昼も夜もなく、暇があれば呼びつけられるが、しかし一度たりとも宗三と女が最後までまぐわうことはなかった。その度に男は女に手を上げ、たびたびは宗三にも手を上げる。宗三には、それらのほぼ全てに無抵抗の女の心境が不思議に思えることもあったが、自分こそ、この扱いに甘んじて男に刀を向けることもないのだから同じようなものだと自嘲する。

 何も変わらないまま幾年か過ぎた。女の身体は成熟し、より一層女に変わっていく。男は幾分か歳を経たが、まだ現役の身体だ。その中で刀だけは何も変わらない。幾振りかは練度も上限に達したが、それ以上の開放を望むことも望まれることもなかった。そしていつごろからか、その絶対数が増えることもなくなっている。男が采配を誤って折ってしまえばその刀はそれきり、新たに同じものを降ろすこともない。政府からは何も口を出されないのか知らないが、そのような状況でも本丸は維持されている。
 女の心許ない襦袢を剥ぐと、瑞々しく白い、けれど不健康な肌に、みみずのような傷が現れていて、男の趣味の悪さを再確認する。それに指を這わせられるたびに女が身を引くので、その傷があまり古くないものであろうと宗三には察せられた。この数日、男は機嫌が悪いことを隠しもしなかったので、そのとばっちりをこの女の身体が受けたのだろう。舌を這わせるたびに顰められる顔に昇ってきた嗜虐心を宗三が自覚した時、男が宗三の髪を後ろから引いた。男の姿を目に止めた宗三の瞳が瞬間に蔑みの色を帯びる。男が持っていたのは、女の肌を嬲ったであろう革の鞭で、それが何を示すかなど明らかであった。
 肌を鞭が打つ音。女は、自分の上で宗三がその主人に折檻されている様をただ見上げていた。背や尻を打たれているとは思えないほど表情のない瞳で、宗三は女に負担のないように腕で身体を支えている。声すら上がらないその様が面白くないのだろう男は、その腕をすらも打つ。鞭の先が宗三を越して女の身体を掠めるたび、女の方が痛みに身を捩っていた。宗三もまた、その女の様を見ている。女の、混濁したような瞳が、その痛みを受ける一瞬間にだけ、色を取り戻すような風情を見せるのを発見した時、女の意識は何かしらで縛られていたのではないのかと宗三もようやく思い至る。ぱた、と女の肌を宗三の汗が打った時、ようやく男が満足したのか、疲弊したのか、飽きたのか、再び宗三の髪を後ろから引いて横になぎ倒した。男がそのまま自らを辱めるつもりだろうと半ば覚悟していた宗三にはそれが意外にすら思える。男の方がなぜか肩で呼吸をしているのを助けてやる義理もなく、ただ視線だけをやっていると、膝から折れた男は、そのまま女に向かった。鞭が女の腹を打ち、初めて聞くほどの声量で女が声を上げる。いやだと抵抗するのを無理やりに、男が女を詰り辱めた。一応のところでは女は、男の妻であったが、今更宗三にそう見えるはずがない。幾度か鞭を受けた女が次第に抵抗をやめるものの、それを受け入れたわけでは決してなく、男の方だって微塵も好さそうには見えない。宗三にはその無意味極まる行為が理解できなかったが、ここでまた女を助けることも意味のないことのように思われた。
 男が果てたのだか果てないのだかわからないまま女の身体を突き飛ばして部屋を出る。宗三を連れ立たせることがなかったから、宗三はただ男の背を見ていた。躙口の戸が閉まり、外から閂がされたような音がする。横たわったまま呼吸を整えていた女が、ゆっくりと身体を起こしたのは半刻ほど過ぎたあとだ。時代錯誤に伸びた艶のある黒髪が肌をすべるたびに、女は痛みに身を捩る。宗三にしてみれば死に至らない傷など大したものではないが、女は人間であるから難儀だと思った。のろのろと襦袢を羽織る女を見ていると、女は宗三に視線を寄越す。
「痛くはないのですか」
それは双方で初めて取り交わされた言葉だ。宗三は女より鞭打たれていたはずなのに、まるでなんでもないことのように、既にいつもの装束を纏っていたから、女はその痛みを共感してしまったに違いない。
「当然、痛みはありますよ。けれど、刀が折れたわけではありませんから」
「そう」
女の声はいつよりも凛としていた。宗三がいつも接する女とは違った人間のようにすら思える。女が畳に手をついて立ち上がり向かったのは、何の変哲もない壁で、宗三はそれを目で追っていて、”驚きという感情”を久しぶりに得た。女が手をついたそこから淡く発光した壁に襖が現れたのだ。
「湯殿がありますから、禊ぎましょう」こちらへ、宗三左文字。
「あなた……」
女が襖を開けた向こうには女の居室だと思われる部屋が続いている。そこは相応に生活感があり、この本丸内のどこよりも、力に満ちている。
「ここは」「あの人は知りませんよ。私がいつもあの部屋で生活していると思っているでしょう。さあ、こちらへ」
はじめに入った襖をきちりと閉てて女が進む。湯殿にはすでに湯が張られていて、女はこれを予期していたかのようだ。女が襦袢を落とす。宗三を振り返るのみで先に入るので、宗三も衣を落とした。先に身を清めた女が宗三を座らせる。
「世話を焼かれるつもりはありません」
「戻ったら次はいつ手入れをしてもらえるんです?」
女が宗三の背に手を当ててすべらせると、力が肌を撫でる気配がした。それは馴染んだ力の匂いがかすかにするもので、この女も主の一端を担っているものだと宗三が察するには容易だった。鞭を受けた全てに手入れを施される。すべて済ませて改めて身を清めると、宗三の脚の間に置かれるように湯船に浸かった女が、元どおりとまではいかずともあらかた治された宗三の肌を撫でた。
「どうしてこんなところで燻っているんです」
「私にかかった呪いを未だ解けないからです」
宗三のもっともな問いに、女はそう答えた。

 女は、少女のみぎりに男に攫われてきたのだという。その頃、研修生であった男には、その時点ですでに本丸を維持する以上の力があった。どの審神者よりも優秀な男であり、将来を有望された審神者だ。しかしその目の前に現れた幼い女は、その歳にして、男には少し及ばぬがそれでも絶大な力を有していた。女が成長するにつれ増大していく力に気づいた男は、自らが本丸を持つというその時、なんだかんだと政府を言いくるめて幼い女を娶ってしまった。女は従順に男の嫁に入ったように誰もが疑わなかったが、それは高度に呪いを受けていただけに過ぎなかったのだ。
 この本丸に入ったその時から、男の、女に対する待遇は悪かった。女が自分よりも確実に有望な審神者になる力を持っていると男は確信していた。女を自分の支配下に置いたにもかかわらず、その羨望と嫉妬と焦燥が、男の弱い心を砕いた。そうして女は離れの奥の間に閉じ込められ、その力を男が強引に引き出すことで、本丸自体は大きく成長していった。
 しかし女が成長するにつれ、女は自身の意識を徐々に取り戻していった。そうして呪いをひとつ解き、ふたつ解き、この頃になってようやく、こうして隠しの間を得るにまで至った。男が近場にいなければ、女は自らを保っていられるようになったらしい。恐らく、男の力自体を女はすでに上回っているが、呪いの最後のひとつがどうしても解けない。それが蝕んでいる身体が、どうしても男を最後のところで拒絶できなかった。
「それで、お願いがあるのですが」
「なんでしょう」
宗三には次の言葉がわかっていたが、それでも問い返す。
「……私に力を貸してください」
「僕は主の刀ですよ」「主とも思っていないくせに」
女の言葉には棘ではなく芯があった。それをきちんと確かめる必要があると宗三は思う。
「見返りは」「なんでも。私が与えられるものならば」「あなたの身代が欲しいと言っても?」「その程度──私の力のすべてでも、命でも構いませんよ。ただし、」「ただし?」「私があの男を殺してからにしてください」
女が宗三を振り返る。濁りのない黒い瞳がまっすぐ宗三を射抜き、宗三は自身の口角が上がるのを自覚した。女の剥き出しの野心が、宗三には好ましい。手を貸してやるのも一興に思えた。
「いいでしょう。刀といえど神との契約です、違えないように」
「当然です」
「しかし人間に血を飲ませるわけにもいきませんからね……とりあえずはこれで」
宗三が女の顎を手に取る。強く唇を押し付けて、呼気で力を渡す。
「う」
ぐら、と女の頭が揺れたが、それだけで、はたりと瞬きをして取り戻したのはさすがの力の器であった。戯れに宗三が舌を絡めると、女が初めて逃げを打つ。あれだけいろいろのことをしてきて今ですら同じ湯船に浸かっているというのに、女は恥じらいを忘れていないらしい。ぐに、と周辺の空気が歪んだのでようやく唇を開放してやると、女が赤い顔で睨み付けるものだから、宗三は久方ぶりに声を出して笑う。

 それからしばらく宗三も呼び出されることもなく、奥の間に入れられたままであった。日に数度女の世話をしに男が来るが、それ以上のことはない。男が近寄ると女か宗三が察知して隠しの間から出ていく。男はそれを見て異常がないか点検した気分になって帰っていくのだからなんとも滑稽であったが、女は男が近付くたびに瞳の色を変えさせられているので、やはり呪いとやらは未だ有効らしかった。
 そうして暮らしていると唐突に宗三に出陣命令が下った。練度上限に達したものたちばかりの編成で、新たな合戦場へ向かう。結果は、珍しく惨敗である。いくらか敗因は考えられたがそれをわざわざ男に教えてやる刀などおらず帰還とともに解散、久方ぶりに刀傷を負った宗三を手入れもせず男が呼びつける。
「これだからなまくらは」などと好き勝手言いながら男が宗三を嬲る。このためにわざわざあの布陣を敷いたとすら宗三には考えられた。また男の救えない性質にこれまではなにひとつ触れてやらなかったが、初めて哀れみを覚える。奥の間の女の本性を知った以上、この哀れな男に従ってやるまでもなかった。
 男の肥大した自尊心を利用して、宗三はひとつ芝居を打ってやることにする。自分を嬲る男に向けて、今まで出したこともないような弱々しい声を出す。傷に障るというふりをして優しさを求め、さらに奥の間に居させられた数日を引き合いに出して、情を求めてやる。男は宗三の変わり様にはじめ動揺していたものの次第に懐柔されていった。
 それからはこの展開が繰り返される。傷も治されぬまま出陣させられ、傷を負って帰還、宗三が男に縋ってやる。悲愴を帯びた表情を宗三が作ってやればやるほど、どうしようもないことに男の暴虐性は増した。どうすれば宗三がより男に縋るのか、どうすれば宗三がより悲惨に男に従うのか、男はそればかり考えている。そうしてようやくその時が来る。

 奥の間に連れ立たされるのを宗三が弱々しく抵抗する。それに男は得意になって宗三を躙口から中へ押し込めた。宗三を女の方へ突き飛ばし、女に宗三を襲うように命じる。
「そんなようではもう側に置かんぞ」
というのが男の近頃の常套句で、宗三はその言葉にいつでも怯えたふりをしてやった。宗三に馬乗りになっている女には表情がない。女に好き勝手にされながら、女の意識を戻してやらねばと策を練る前に、女の不慣れさに業を煮やした男が宗三に女を抱くように命じたので、宗三は男をただ阿呆だなと思った。
 男の命の通りに女の身体を転がす。覆いかぶさって、宗三が女の柔い肌を撫でている間、男はいつものように野次を飛ばしていた。その要望に答えたり答えなかったりしてやりながら、女の身体を開かせていく。女が喘ぐ。宗三が嫌々というように短く口付けると次第に女の瞳の濁りが浮いたり沈んだりしだした。いよいよという段になって、男に顔を見られたくないというような仕草で女の首元に顔を埋める。女はいつものように抵抗を見せたが、宗三はそれをついに強引に押し入った。
「ああっ、」
女が声を出す。男はいつからか持ち出した酒でこの上なく上機嫌だ。その言葉に宗三が適当に答えてやりながら、ぐっと女の腹の中を押す。一際大きく鳴いた女に「必要になったら僕を呼びなさい」と耳打ちしてやると女の身体が宗三に応えた。男に向かって甘言を吐いてやりながら女の腹を穿つ。女が一層激しく鳴き達したので、宗三もありったけの力を込めて女に応え、達した。最奥に抑え付けると女の中が宗三を馴染ませる。女の胸に身体を預けながら、宗三は自らを操る力の在る人物が書き換えられたのを感じた。
 ずるり、とものを抜いた宗三が弱り切ったように男を呼んでやると、男は上機嫌に女を呼ぶ。そういう男だと宗三にはわかりきっているので、絶望したような色を瞳に湛えてやりさえした。女が、男に寄る。口付けを交わすのを見ながら宗三は衣を緩慢に身に着ける。あとは女がどう動くのか、見届けるのみだ。
 男は、女の身体を宗三に見せつけるようにことを進める。女の髪を片側に寄せて首筋を舐めながら、羽織ったままであった襦袢の肩をすべり落とす。宗三からは女の白い背に浮く肩甲骨が穏やかに見えた。男の手が女の腹をなぞり、胸を包む。面白いほどに女は、拒絶も受容も、一切の反応を示さない。男が苛立たしげに首筋から顔を離し、女はそこで男と顔を合わせてすぐに、宗三の方を振り返る。
「宗三左文字」
「はい」
宗三は、呼ばれたので答えてやる。男の寝室に置いてきていた得物を取り寄せて、女の手に持たせてやった。
「謀ったな!」
「そっちこそ」
男が女を突き飛ばすのと、女が刀を返して男に突きつけたのはほぼ同時だった。鋒が男の首筋を抉りはしたものの、長い時間転がして放ってでも置かない限りは死なない傷であろう。じわじわと死んでもらうのも悪くはなかったが、そう悠長なことを言っている間に男に持ち直されては困る。
 男は酒も回っている、わずかばかりだが急激に失血もしているので、派手には動き回れないらしい。壁に背をつけて、畳に自らの血で術式を書き込んでいた。女がそれに気づいて書くそばから足で踏みにじる。男が、別の術式を使いかけた女の手首を蹴り上げた。刀が手を離れて畳を滑る。瞬間それに気を取られた女の髪を男が掴む。
「離せ!」「このアマ! 大人しくしていればいいものを」
双方武器を持たないまま殴り合いでもすれば男が勝つのは明白だろう。宗三が畳に投げ出された得物を拾う。
「この扱いは、いくら刀とはいえ不服ですね」
男が女の髪を巻き取って組み伏せるところを、宗三が女に刀を向けた。ざくりと音を立てて断髪される。
「まったく、あなたが殺すんでしょう? 無策だったんですか」
宗三が男を足で押さえつける間に女を引き起こし得物を手渡す。女は宗三の言葉に歯噛みしていたがすぐにそれを受け取った。
「こうですよ」
宗三が男を蹴飛ばしておいて、女の後ろに回りその手を取る。女が刀を扱ったことがないことは明らかだった。
「しっかり握って、余計な力を抜いて」
咳き込みながら未だ何かを試そうとする男に、宗三は女の手を握り込んだまま刃をたたき込む。女が力を入れる前に、すぐにごとりと音がして首が落ちた。たかが人間の身体は呆気ない。男には何を言う暇も与えられなかった。吹き出した血飛沫が女を染め、宗三の腕に滴る。
 血飛沫が勢いをなくすころ、女がふと頽れたので支えてやったら、「私が殺せなかった」ときつい目を宗三に向けて、しかし声が震えているのだから可笑しい。「あなたが下手なんでしょう」「刀を振ったことはさすがにないの!」「あれが経験者の腕だったらよっぽど才がないですよ」「そうですけど。そうですけどね?」「いいじゃないですか、あなたの夫は死んだんだから」「気持ちの悪いことを言わないでください」「でも殺しましたよ。あなたにかかった呪いも消失している」
女の手を掴んだまま、刀の血を払う。鞘に戻すと女が今度こそ自立を失った。血と自身の髪の海に尻をつけた女を、宗三も追ってやる。ぼんやりとそこにひたっている女は、はたから見ると呆けていた。
「これからどうするんです」
「……わかりません。どうしましょう」
「それは僕にもわかりませんが、いずれ上には伝わるでしょう」
「そうですね。馬鹿正直に伝えて信じてくれるとも思えない」
「刀が謀反を起こしたとでも言えばいいんじゃありませんか」
「……それはあなたを売ることになる」
「てっきりそのつもりかと思っていたのですが」
「そんなことはしません。約束したでしょう。あなたの望む見返りをなんでも与えると」
女は背後の宗三が再び刀を抜いたのを目にした。殺されるのならばこれ以上何も考えずとも良いし、それが神との契約ならば、と女は凪いだ気持ちで目を瞑る。冷たい刃が女の首筋に当たり、宗三はその様にひとつため息をついた。ざ、と音が女の耳に届く。頭皮が幾度か引っ張られて、「もういいです」との宗三の声に目を開けると、得物を再び鞘に収めた宗三が眉間にしわを寄せていた。
「みっともない髪をとりあえず整えました」
そこでようやく女は自らの髪を落とされたのを思い出す。
「……てっきり私を殺すかと」
「あなたを殺してなんになるんです?」
「それはそうですが、なにか力の器として有用なのかなと……思ったり……?」
宗三はそこでもう一度ため息をついた。
「この僕を側に置くつもりがないなんて、あなた主としてどうかしているんじゃないですか?」
「え」
「惚けた顔をして。あの男が死んだ以上、ここにいる刀を維持しているのはあなたの力です。僕たちはあなたの刀ですよ」
「理論上はそうかもしれませんが……」
「まったく、気概があるんだかないんだかわからない人ですね」
宗三が立ち上がって、女の腕を掴んで引っ張り上げた。羽織っていた襦袢から男の血が滴る。
「そも、あなたの力ならどうにでもなんだって誤魔化せるでしょう。この男すらできていたんだから……それよりも、早く身を清めたいのですが、主は血塗れがお好きですか」
宗三が有無を言わせずに女を引いて歩く。例の壁まで寄って女を振り向くと、女は未だぽかんとした顔で宗三を見上げていた。
「……案外したたかな、ひとだったんですね」
「あなたが僕をそうしたんです」
女が隠しの間を開く。湯殿に歩きながら、宗三には女の方が余程したたかだろうと思われた。

 女が何をどう政府と交渉したのか、しばらくして女は正式に主となり、それだけにとどまらず本丸ごと住み替えてしまった。刀は女を主とするか否か選択権が与えられたものの、その全てが思うところはあっても女についていった。それでも懐疑的であった宗三以外の刀も、最近では次第に心を開いている。それというのもその新しい主の瞳が、蒼と碧の明らかな色から戻らなかったところに所以している。はじめのうち色が戻らないことに困惑していた女は、しかしその原因に心当たりがあるものだからうかつに究明することもできずにいた。当の宗三は涼しい顔をしているものの女の側を離れようとしないので、他の刀はその様で信頼に足ると判断するらしい。今のところは女が宗三に抗議をしている様が本丸内でたびたび見かけられるが、その抗議も近いうちに止ませてしまうのだろうというのが他の刀の見解である。

2021.04.05